【湖水渡り伝説】明智左馬之助湖水渡りのところ/駒止めの松を巡ってみた

明智左馬之助湖水渡りのところ石碑

こんにちは!ZIGです。

今回は「明智左馬之助湖水渡りのところ」および「駒止めの松」を巡ってきたのでアクセスや感想をまとめてみました!

明智左馬之助の湖水渡りは軍記物で有名な逸話ですね。

湖水渡り伝説について

明智左馬之助の湖水渡りは川角太閤記が初出で、歌舞伎や浮世絵の題材にもなっている有名な逸話ですね。

まず明智左馬之助についてですが、彼は明智秀満・明智光春・三宅弥平次などの名前で知られる明智光秀の五宿老のひとりとされる重臣。光秀にとっては娘婿でもありますね。ここでは「秀満」で統一したいと思います。

秀満は山崎の戦いの際、安土城を守っていました。しかし光秀が敗れたことを知り、残った兵と合流するため坂本城へ向かいます。

その途中、大津のあたりで敵方の堀秀政の兵に出くわしてしまうのでした。

敵は多勢で正面から戦っても勝ち目はありません。しかしここを切り抜けなければ坂本城にはたどり着けない。

そこで秀満は打出浜から馬と共に琵琶湖を渡り、敵兵から逃れることに成功します。その後坂本城にたどり着く秀満でしたが既に光秀が討たれてしまったことを知り、最後は妻子の命を絶ち、城に火を放って自害するのでした・・・

 

・・・というのが湖水渡りの逸話ですね。

この話は軍記物にのみ見られる話なので真偽は定かじゃないですが、秀満が琵琶湖に入った場所とされる「明智左馬之助湖水渡りのところ」および秀満が琵琶湖を渡った後に馬をつないだとされる「駒止めの松」が今も残されています。

なので今回はこの2か所を実際に見に行ってきました。

 

明智左馬之助湖水渡りのところ

明智左馬之助湖水渡りの碑は以下の場所にあります。

明智左馬之助湖水渡碑
〒520-0806 滋賀県大津市打出浜1

地図を拡大してもらうと分かりやすいですが、滋賀県立琵琶湖文化館の目の前にあります。

なのでこの建物を目印にすると良いですね。

 

琵琶湖文化館は非常に目立つ外観をしているので、近くまで行くとすぐ分かります(笑

滋賀県立琵琶湖文化館

まるで城のような見た目をしてるんですよねー。

ちなみに近くにはコインパーキングもあるので、この時はそこに車を駐めました。琵琶湖文化館の前はT字路になっているのですが、琵琶湖文化館の向かって左手にコインパーキングがあります。

 

 

・・・で、こちらが明智左馬之助湖水渡り碑ですね。

明智左馬之助湖水渡り碑

とりあえず、柵が邪魔。すごく邪魔(泣

これじゃ見栄えの良い写真が撮れませんよ・・・

 

横に立っているのは湖水渡りの解説看板ですね。

明智左馬之助湖水渡りの解説看板

この看板の解説によれば、秀満は愛馬にまたがったまま琵琶湖を渡ったみたいですね。

 

 

というわけで次は駒止の松へ向かいます!

 

 

ちなみに湖水渡り碑がある打出浜からは駒止の松がある「柳が崎」が肉眼で確認出来ます。

大体この辺り。

打出浜から見る柳が崎

実際見てみると結構距離あるな・・・という感じですね。

ここを馬に乗ったまま渡るというのは流石に厳しい気がしますねぇ・・・(汗

 

 

駒止めの松

駒止の松は以下の場所にあります。

駒止めの松
〒520-0022 滋賀県大津市柳が崎7

正確な場所が出なかったので駐車場を指定してますが(汗

この柳が崎公園の駐車場の片隅に駒止の松があります。

 

 

こちらが駒止めの松ですね。

明智左馬之助駒止めの松

琵琶湖を渡って疲弊した愛馬に流石にこれ以上乗るわけには・・・とこの松に馬をつないだらしいです。

 

松の近くには駒止の松の石碑もありました。

駒止めの松石碑

 

 

石碑の横には駒止の松の解説看板もあります。

駒止めの松解説看板

看板には大津歴史博物館に展示されているという絵も掲載されてました。

こちらの解説でもやっぱり秀満は馬に乗ったまま琵琶湖を渡ったということになってますね。

 

 

・・・ちなみに。

この柳が崎公園の駐車場なのですが、無料では無く有料です(汗

柳が崎公園駐車場入口

他に車を止める場所もないので、車で来た場合はこの駐車場を使うしかありません。

つまり、駒止めの松を見るには駐車場料金を払う必要があるって事です(汗

 

確か最低料金が200円だったので、駒止めの松を見るための料金と割り切るしかないですね・・・

ちなみにもちろん徒歩でアクセスすれば駐車場料金はかかりません。歩道があるので歩いて行けば駒止めの松まで行くことが出来ます。

 

地図で見る湖水渡り

というわけで湖水渡りの2地点を巡ってみたのですが、実際どの程度の距離なんだろうか?

と思ったのでGoogleマップで2地点を結んでみました。

・・・はい。湖岸を移動すれば3kmちょっとという感じですね。

確かに車で移動すれば10分もかかりませんでした。

なので直線距離にすればせいぜい2kmくらいってところでしょうか?これなら何とか渡りきることは可能かもしれません。

 

実は私、湖水渡りって秀満がガッツリ琵琶湖を横断したんだと思い込んでました(汗

イヤそりゃいくら何でもあり得ないだろ!と思ってたんですが、実際見てみると意外と現実的な距離ですね。

 

ただ、馬にまたがったままってのは無理があるような気がします(汗

馬は一応泳げるらしいですが、甲冑を着込んだ人間を乗せて泳ぐってのは現実的じゃない気がしますし。考えられるとすればやっぱり一緒に泳いだって感じじゃないでしょうか。

 

 

・・・というか、これって言ってしまってもよいんでしょうか?

これ、堀秀政の兵は湖岸経由で余裕で追いつけるんじゃないの??(爆

 

まさか秀満が琵琶湖を渡りきるまでボケーっと見ていたわけじゃないでしょうし、秀満が坂本城へ向かうのは分かってたはずなので数名でも兵を馬で走らせれば余裕で先回り&確保できちゃいそうな気がします。2km泳ぐより3km馬で走る方が遙かに早いでしょうし(汗

おまけに秀満は柳が崎で馬を松に繋いだわけで、その後坂本城へ歩いて向かう事になりますよね。

坂本城まではまだ結構距離がありますし、とても逃げ切れないような気が・・・

 

うーん、しかしこれは突っ込んだらイケないところなのか・・・?

 

 

まとめ

というわけで明智左馬之助湖水渡りの地を紹介しました!

実際に現地を訪れてみたら大分思い込み&勘違いしていた事に気付かされましたが、新たな疑問が出来てしまいました(笑

やっぱり湖水渡りは軍記物の創作かな?という気がしてしまいますが・・・逸話として面白いのは事実ですね♪

明智左馬之助湖水渡りのところ石碑