こんにちは!ZIGです。
今回は岐阜県恵那市にある明知城を紹介します!
岐阜県には可児市の明智城と恵那市の明知城がありますが、恵那市の方は遠山明智氏の居城ですね。この地域では珍しい畝上空堀群があることでも知られてます。
目次
明知城について
明知城は別名白鷹城とも言われ、宝治元年(1247年)遠山影重が築城したと言われています。
遠山影重は源頼朝の重臣・加藤影廉の孫に当たる人ですね。加藤影廉が遠山荘の地頭となり、その子にあたる影朝が土地にちなんで遠山性を名乗るようになりました。3代目の影重は明智遠山氏の始祖と言われているみたいですね。
そんな影重が築城した明智城は遠山家累代の居城となります。しかしこの周辺は戦国時代に武田・織田の戦いの場となり、明知城も何度も戦いの場となりました。
ちなみに明知城は天険の地形を巧みに利用した山城で、土盛砦として堡塁数23ヶ所を備え、それが原形を留めている事。そして畝状空堀群というこの地域ではあまり見かけないタイプの堀が残っているのが特徴として知られています。
また、明知城周辺には明智光秀ゆかりの場所がいくつか存在し、明知城の山麓にも光秀が学問に精進したという言い伝えが残る天神神社があります。明知城へ訪れる際はそうした周辺の観光も併せて予定しておくと良いでしょう。
明知城アクセス
明智城は明知鉄道明和線「明智駅」から徒歩で20分。
車の場合は中央道恵那インターから南へ25kmほど走ることになります。道の混雑状況にもよりますが、おおよそ20分~30分ほどでたどり着くくらいの距離ですね。
明知城の駐車場について
明知城周辺には2つの駐車場があります。
ひとつは明知城の西側にある「大正村」の無料駐車場。もうひとつは明知城東側の明知城搦手口の駐車スペースですね。どちらも無料で使えますし、それなりのスペースがあります。
「大正村」は大正時代の建物が残っている地域を観光地としているエリアで、ここには比較的大きな駐車場が完備されています。
明知城の登山口までは5分~10分くらい歩きますが、龍護寺なども近いのが魅力です。
もうひとつの明知城搦手口のスペースは5~10台程度は車が止められるようになっていますが、ちょっと場所が分かりにくいのが難点。
ただ明知城搦手口の目の前なのですぐに明知城を攻められるのが特徴です。
こちらの駐車場については後ほど場所を解説するのでそちらを参考にして下さい。
とりあえず実際行ってみた感想としては、どちらかといえば大正村の方に駐車した方が周辺観光にも何かと便利かな?という印象でした。
明知城(白鷹城)
というわけで実際に明知城に行ってきました♪
今回は搦手側から城へ。明知城の東側、県道33号線を北から南へ向かって走って行くと右手に小さな「明知城」の看板があります。これが駐車場の目印ですね。
この時はのぼりも立っていたのでこちらが目印になりました。
ここを右折すると搦手側の駐車場があります。
搦手口の前にはある程度車が止められるスペースがありました。
いくつか看板も立ってますね。
明知城の解説もありました。
明智光秀公学問所と伝わる天神神社へもここから行くことが出来ます。
ちなみに天神神社へは明知城からではなく、麓の「大正村」エリアから行けるようになっています。なので周辺をまとめて観光する予定なら後回しでもOK。
では行ってみましょう!
上り坂になってますが、このあたりはそれほど急ではありません。
まず搦手を登っていくと、左手に搦手砦の看板がありました。
とりあえずここは後で回るとして、先ヘ進むことに。
ここで分かれ道になっていて、二の丸砦の方へ向かいます。
こちらは畝状空堀群があるエリアですね。
二の丸東砦周辺
明知城はどこを歩いているのかが分かりにくいので、ここからは縄張り図を使いながら解説しようと思います(縄張り図は本丸にありました)。
正直歩いている時は何度か道に迷いました(笑
二の丸東砦はおそらく以下のあたりになるんじゃないかと思います。
本丸・二の丸と二の丸東砦の間の堀を進んでいきます。
明知城は遺構がしっかり残ってると聞いてましたが、確かに土塁や堀がしっかり分かりますね。
少し歩くと曲輪の看板がありました。
おそらく二の丸東砦の曲輪のひとつなのだと思われます。
登ってみると、それなりに広いスペースがありました。
ここは木も刈られてますね。
近くに「本丸北砦」という看板のある曲輪もありました。
・・・ただ、ここが縄張り図を見てもどこに当たるのか?よく分かりませんでした(汗
本丸北、というよりも東エリアのような気がしたのですが・・・
本丸北砦もある程度伐採されてましたが、結構木が生えた状態になってますね。
確かに曲輪っぽい地形は確認出来ました。
畝状空堀群
畝状空堀群は本丸の北東~北西にかけて作られてたみたいです。
このあたりからやけにアップダウンが激しくなります。
急に下ったかと思うとまた登りになり・・・の繰り返し。
おそらく横堀と竪堀が交差する場所が窪んでるって事ですね。
ここは堅堀があった場所で撮った写真。向かって左が本丸側・右手が斜面です。
斜面側を見ると・・・
斜面に垂直に堅堀があるのが確認出来ました。
もうちょっと草木が少ないと地形がよく分かりそうですね(汗
このあたりの堀は背丈の倍くらいありました。
3mくらいは高さがあるんじゃないでしょうか。
そしてまた登ったり下ったり。
これだけアップダウンの激しい堀は確かに珍しい気がします。
周りも鬱蒼と木が茂っていて、この時点で既に汗だく状態になりました(汗
何度かアップダウンを繰り返すと畝状空堀群の終点にたどり着きます。
看板の裏面が写ってますが、看板には「畝状空堀群」の記載がありました。
三の丸
畝状空堀群を抜けると三の丸の下辺りに出ました。
以下のあたりですね。
三の丸・武者走り・大手門への道が交差するエリアみたいです。
畝状空堀群から登り坂を上がっていくと、休憩のために設けられたベンチが見えてきます。
ベンチは屋根付きで日陰になっているので休憩にはちょうど良いです。
ただ、こういう場所なので蚊が多い(汗
ちょうどここは堀切になってるみたいですね。
この写真の向かって右側が三の丸、左側にひとつ曲輪があります。
休憩スペースのベンチの横に曲輪へ登る道がありました。
三の丸へ登る前にまずはこちらへ行ってみます。
この曲輪はやけにしっかり木が伐採されてました。
それなりに高台ですが、周りに木が茂っているので景色はあまり見えません(汗
縄張り図で見ると以下の曲輪ですね。
今度は三の丸へ向かいます。
先ほどの堀切から少し急な階段を登って三の丸へ。
三の丸へ登ると、堀切の向こうにさっきの曲輪が見えました。
三の丸は縄張り図で見ると以下の場所ですね。
三の丸にも建物があったみたいです。
切岸もありました。この上が本丸ですね。
何か看板が倒れてる・・・
石垣跡の看板でした。
どうやらこの辺りに本丸へ繋がる城門と石垣があったようです。
正直石垣は確認出来なかったのですが、このあたりには割と大きな石がいくつか転がってました。
こういう石も石垣に使われてたものだったのかもしれません。
本丸
次は三の丸から本丸へ向かいます。
本丸は以下のエリアですね。
本丸だけあってそれなりに広いスペースがあります。
ただ、この時はかなり木が生い茂っていて薄暗い感じでした。
とりあえず建物があった形跡のようなものはないっぽいです。
本丸にも搦手口にあったものと同じ明知城の解説看板があり、一緒に縄張り図があります。
・・・が、曲輪の名前などの記載が一切ありませんでした(汗
出来ればもう少し分かりやすく解説があると良い気がします・・・
それはさておき、次へ向かいましょう!
本丸を通り過ぎ、反対側から二の丸へ向かいます。
虎口
本丸の二の丸の間には虎口があります。
いかにも虎口という感じ。
カーブした狭い坂道になってます。
二の丸
虎口を降りると二の丸に出ます。
以下のエリアですね。
二の丸の看板がありました。
看板の解説によれば東西17間(約30m)、南北11間(約20m)あるとのことなので、結構な広さですね。
ただ、ここもかなり木が生い茂っていて正確な広さは見て取れませんでした。
ちなみに二の丸の近くには腰曲輪の看板が立ってます。
ただ、ここは後回し。
とりあえず先に東の丸砦の方へ向かいます。
東の丸砦
東の丸砦は以下のエリアですね。
二の丸と出丸の間の土橋のあたりから降りていくことが出来ました。
東の丸砦にも陣屋があったようです。
先ほどの二の丸よりは小さい印象ですが、ここもそれなりの広さがありました。
この辺りも鬱蒼としていて日の光があまり差し込んできません。
東の丸砦の隅の方には貯水池がありました。
大きく窪んだスペースが2つあるように見えます。
もうちょっと草が少なかったらもっと分かりやすい気がするのですが(笑
かなり大きな貯水池だったのではないでしょうか。
くぼみの端に貯水池の看板が立っていました。
ちなみに明知城の東13丁(1.4kmくらい)に団子杉という天然の杉があるのですが、そのあたりに水源があるとのことでした。
そこから丸太樋を通してここに水を貯めていたようです。
東の丸砦の隅には光秀学問所(天神神社)への看板が立ってました。
なので先に天神神社に向かいます。
搦手砦
天神神社に向かう途中、搦手砦にも行ってみました。
搦手口のすぐ近くにあった砦ですね。
最初に見かけた看板の場所まで戻り、曲輪に登ってみます。
ここは曲輪の形がしっかり分かりますね。
搦手砦を降りたら再度天神神社の方へ向かいます。
出丸下砦
出丸下砦はおそらく以下の曲輪ですね。
天神神社に向かう途中で看板が目に入りました。
ここも曲輪へ登る道がしっかり分かるようになってます。
ただ、何故かこの曲輪で写真を撮り忘れたようで、後で探したら写真がありませんでした(汗
その後再び天神神社の方へ。
この辺りはやけに道がハッキリしていて歩きやすいです。
多分搦手口からまっすぐ天神神社に向かう方が結構いるんでしょうね。
そのため整備もされてるんじゃないかという印象でした。
途中に大きな堅堀がありました。
目で見ると割とハッキリしてたのですが、写真にすると草でよく分かりませんね(汗
おそらく以下の堀だと思われます。
場所的にだいぶ天神神社に近づいてるのが分かりますね。
もうすぐ着くかな?といった当たりで「天神砦」という曲輪がありました。
この曲輪は縄張り図を見てもどこに該当してるのかが分かりませんでした。
ちょっと離れてみると確かに曲輪のように見えます。
ただ、あまり多きい印象ではないですね。
万ヶ洞天神神社
天神神社は本丸の南西に位置しています。
天神砦を過ぎるとまもなく天神神社が見えてきました。
ここは毎年例祭が行われているそうで、しっかり整備されてました。
天神神社の由来についての割と詳細な解説看板もあります。
簡単に説明すると菅原道真公が祭られていること。
そしてこの周辺には明智光秀公ゆかりの場所が沢山あること。光秀が幼少の頃、京都嵯峨天龍寺の学僧を招いてこの場所で学んだという言い伝えがあること等が書かれてました。
この地に残る言い伝えだと明智光秀は明知城の出城だった落合砦(千畳敷砦)で生まれ、ここで学問を学んだという事になってるわけですね。
出丸
万ヶ洞天神神社を見た後は出丸まで戻りました。
以下のルートですね。
東の丸砦を通り過ぎ、二の丸と出丸の間の土橋まで戻ってきました。
今度は出丸へ向かいます。
出丸は以下のエリアですね。
ここは明知城において本丸よりも重要視された場所だと言われてるようです。
出丸へ向かっていくと、開けた明るい場所が見えてきました。
今までの曲輪は暗いところばかりでしたが、ここはかなり開けてる印象ですね。
ちなみに出丸の入り口付近には石垣が残されてました。
かなり大きな石ですね。
隅の方にも石垣らしき場所がありました。
出丸は東西17間(約30m)、西北14間(約25m)の広さがあるそうです。
なので二の丸よりも広いですね。
曲輪の隅の方には陣屋の礎石が残ってました。
なぜ曲輪の隅の方にあるのか?というと、要するに武田勢との戦いでこうした石まで落として防戦したということみたい。
それほど激しい戦いがここであった、ということですね。
ちなみにこの礎石は「落ちそうで落ちない」ところから縁起担ぎで合格祈願に訪れる人がいる・・・という説明が麓の大正村の資料にありました。ホントかどうかは分かりません(笑
猿戻しの看板のありました。
確かにかなり急斜面になってるようです。
もうちょっと草が少ないとよく見えそうなのですが(汗
腰曲輪
出丸を一通り見て回った後、腰曲輪へ向かいました。
以下のエリアですね。
腰曲輪は既に通った三の丸と繋がっています。要するに腰曲輪=三の丸ですね。
ちょうど本丸の下に位置してるので、ここを通った的は本丸から丸太や石を落とされたみたいです。
幅は4間~6間(約7.2m~10.8m)とのことなので、それなりの幅があるようです。
歩いてみると確かに結構広いですね。
草木が生えてるのでだいぶ狭くなってはいますが、それでも大人二人くらいなら並んで歩けそうです。
少し歩くと先ほど見た三の丸に出ました。
見覚えのある切り堀の看板がありますね。
武者走り
三の丸に戻った後、堀切の方へ降りて武者走りを見に行きました。
以下のエリアですね。
縄張り図で見ても分かるとおり、かなり狭いです。
・・・ただ、実物はもっと狭く見えました(汗
入り口周辺こそそれなりに広いのですが、すぐに道が狭くなり、更に下っていきます。
途中で道なのか崖なのか分からなくなってました。
とりあえず歩いて二の丸の方へ抜けられるかな?
・・・と思って歩いてみたのですが、途中で滑り落ちそうになって引き返しました(汗
ここは正直危険です・・・
大手門へ
武者走りを見た後は以下のルートで大手門方面へ向かいました。
三の丸下の堀切を下り、畝状空堀群の入り口の前を通って本丸方向への道を進んでいきます。
大手門への道は割と平坦でした。
途中いくつか曲輪の看板表示があります。
しかしこのあたりはまた木がしっかり茂っていて、どこが曲輪なのかハッキリとは判別できませんでした。
歩いて行くと道沿いに「畝堀」「枡形」の看板発見。
畝堀の方はなんとなく分かったのですが、枡形の方はちょっとよく分かりませんでした。
縄張り図で言うとこの辺りでしょうか?
ちょっと自信ありません(汗
枡形を過ぎるとまた曲輪がありました。
この曲輪は形状が分かりやすいですね。
大手門東砦
大手門東砦はおそらく以下の当たりだと思われます。
道沿いに大手門東砦の看板がありました。
このあたりに大手門があったということですね。
ちょっと離れて写真を撮ってみました。
曲輪はよく分かるのですが、大手門の遺構らしきものはないっぽいです。
大手門と思われる当たりを過ぎ、下っていくと左手に土塁が続きます。
ここはしっかり土塁だと分かります。
縄張り図にも描かれているエリアですね。
ここまでくれば登山口までもうすぐ。
登山口にたどり着きました。
ここまでおおよそ1時間。
ちょっとウロウロしながらではありましたが、やはりしっかり見て回ろうと思うと1時間くらいは必要になりそうですね。
馬場
馬場は以下のエリアになります。
ここは現在舗装された道になっていました。
ちなみにこの道を歩いて行くと龍護寺の前に出ます。
明智光秀の霊廟があるので、併せて見ておくと良いでしょう。
明知城の感想
・・・とまあこんな感じで明知城を一通り見て回ったのですが、思った以上に遺構がしっかり残っていて楽しめました。
畝状空堀群は初めて見たのですが、ホント面白い作りですねー。ここは必ず見ておいた方が良いと思います。
ただ、とにかく雑草や木が多くて参りました(汗
この時は6月で梅雨時期だったのですが、その影響もあってか草木も生え放題。おまけに蒸し暑くて熱帯雨林の中を歩くような感じになりました。水分とタオルは必須ですね。そんな状態だったので遺構がハッキリ確認出来ない・・・という箇所も結構あったのがちょっと残念。
なのでしっかり見て回るなら草が枯れてる時期の方が良いかもですね。
まとめ
というわけで明知城についてまとめてみました!
とりあえず明知城自体は1時間ほど見ておけば一通り回れると思います。迷子には注意ですが(笑
ただ、この周辺には落合砦・龍護寺・八王子神社・お牧の方の墓所など明智光秀にゆかりのあるとされる場所がいくつもあるので、全部見て回ろうと思うと半日くらいは予定しておいた方が良いんじゃないかな?という感じですね。