こんにちは!ZIGです。
今回は岐阜県恵那市にある「お牧の方墓所」を紹介します。
「お牧の方」は明智光秀の母とされる女性ですね。2020年大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場し、石川さゆりさんが演じる事が決定しています。そんなお牧の方の墓所を訪れてみました。
目次
光秀の母「お牧の方」について
明智光秀の母と言われるお牧の方は「鈴木叢書」十三所収の明智系図に若狭武田氏の出身であるという記載がありますが、実はそれ以外の記録がほぼありません。
いつ生まれていつ亡くなったのか?そうした記録も残っていないんですよね。
ただ、よく知られる話として「非業の最期を遂げた」と言われてます。以下ざっくりと解説。
信長の命で丹波国の攻略を進めていた明智光秀は天正7年(1579年)、波多野秀治が守る八上城を兵糧攻めにしていました。頑強に籠城を続ける八上城を開城させるため、光秀は波多野一族の命を保証し、その証として自分の母を人質として差し出したと言われています。
それによって波多野秀治は降伏し、安土城へ送られたのですが・・・信長は波多野秀治をはじめとする兄弟3人を磔にしてしまうのでした。
それを知った八上城の家臣達はもちろん怒ります。そして人質となっていた光秀の母は磔にされ、命を落とすことになってしまうのです。
この一件で光秀は信長を恨み、のちの本能寺の変の要因ともなった・・・という話ですね。
この話については後世の創作という説もありますが、この墓所はそんなお牧の方のために寛保3年(1743年)に建てられたそうです。八代将軍、徳川吉宗の時代ですね。
於牧の方の墓所へのアクセス
お牧の方の墓所があるのは明知城(白鷹城)の南東。城からもあまり離れていません。
ここへ行く方法としては以下の4つがあります。
- 明智駅から歩く
- お牧の方の墓所前の駐車場を利用する
- 明知城搦手の駐車場に車を駐めて歩いていく
- 大正村駐車場から歩いていく
明智駅から歩く
電車で来た場合はこの手段しかないですね。
明智駅から大正村へ向かい、うかれ横丁のあたりを通ってお牧の方の墓所へ行くことができます。
この場合はおおよそ20分ほど。距離的には1~2kmほどですね。
お牧の方の墓所前の駐車場を利用する
車で来た場合、最も楽なのは墓所前の駐車場を使用する手段ですね。
お牧の方の墓所の横には「東町集会所」という建物があり、その前に数台くらいなら駐車できるスペースがあります。明知城の東側、県道33号線から進入し、ここに止めればお牧の方の墓所は目の前です。
ただ、お牧の方の墓所前の道はかなり細いので通り抜けしないよう気を付けてください。
駐車場がいっぱいで止められなかったり、間違えて通り過ぎてしまうと結構大変な目に遭います。途中から一方通行なんじゃないかと思うくらいの道幅になってしまうので(汗
私は見事にハマりました・・・
なので目の前の駐車場を使う場合は県道33号線側から進入して確実に駐車場に車を止め、帰る時も県道33号線方向へ戻ることをおすすめします。
明知城搦手の駐車場に車を駐めて歩いていく
明知城搦手口の駐車場に車を止め、歩いていくのも一つの手段です。
お牧の方の墓所までそれほど距離もありませんし、歩いても5~10分程度でたどり着けます。なのでいつも目的地をうっかり通り過ぎてしまうような方・明知城にも行く予定の方はこちらの方が無難な手段です。
大正村駐車場から歩いていく
これは明智駅から歩いていくのとほぼ同じルートですね。
車を大正村の駐車場に止め、そこから歩いて向かう形。時間的には15分程度でたどり着きます。
・・・と4つのアクセス手段を紹介しましたが、おすすめは明知城搦手口の駐車スペースか、大正村の駐車場を利用する手段ですね!
お牧の方の墓所のみを見に行くのであれば話も違いますが、明知城や龍護寺なども見て回るなら上記いずれかの駐車場に止めて動く方が便利です。
徒歩でお牧の方の墓所へ
というわけでお牧の方の墓所へ向かいます。
この時の私は車を明知城の搦手口に止めてまず明知城を見て回り、大手門側に出て龍護寺・八王子神社・大正村を経由してお牧の方の墓所へ向かいました。お牧の方の墓所を見た後、明知城搦手口まで歩いて車に戻る流れですね。
出来ればお牧の方の墓所前の道を車で通りたくなかったので(笑
少し上り坂ではありますが、大正村から15分ほど歩くと東町集会所が見えてきます。
奥にお牧の方の墓所の看板が見えてますね。
いくつか石碑と看板が立ってました。
何故かお牧の方の墓所は英語表記の看板になってます(汗
右下には「My enemy is at Honnoji(敵は本能寺にあり)」って書いてありますね(笑
こちらの石碑にはここで長年にわたって「甘酒祭り」が行われていることが書かれてました。
あとは墓所に槙の木が立っていること、周辺に用水池があったことなどが記載されてますね。
ちなみに別の看板に4年ごとに甘酒祭りが行われたみたいな話が書いてあったんですが、現在も行ってるんでしょうか?ちょっとこの辺はハッキリしませんでした。
こちらの石碑にも「敵は本能寺にあり」って彫られてますね。
これはちょっと・・・何というか悪ふざけが過ぎるような気も(汗
確かにものすごく有名なセリフですが、創作ですしねぇ・・・
入り口周辺にはもうひとつ石碑が建ってました。
こちらはお牧の方が八上城で磔になった経緯、そしてその後本能寺へ至る過程が解説されてました。
昔からよく言われている「怨恨説」ですが、本能寺の変の真相は未だに分からないのでここで書かれてる内容もひとつの可能性という感じですね。
一通り看板を見たら階段を上がっていきます。
それほど急な階段ではありませんし、すぐにお牧の方の墓所が見えてきます。
こちらがお牧の方の墓所。
右側の「南無阿弥陀如来」と書かれた石塔がそうですね。
横には樹齢400年以上とも言われる高野槙があります。この槙の木はお牧の方の名前にちなんで墓標とされ、神木として崇拝・畏怖されてきたとのこと。
ちなみに石塔に名前が刻まれていないのは当時の世評を考慮しての事だったと言われてます。江戸時代になって100年以上も経っていたのに「逆臣」のイメージが残ってたということでしょうか・・・
石塔には木漏れ日が当たっていました。
なんというかここは不思議な場所ですね。
周りは木が多いのに暗すぎず明るすぎず、静かで暖かい雰囲気を醸し出してます。
車通りも少ない場所ですし、この日は他に人もいなかったので周囲はとても静かで、しばらく理由もなくこの場所に佇んでしまいました。
ちなみにこちらが石塔の横にある高野槇です。
樹齢400年というだけあって、本当に立派な槙でした。
まとめ
というわけでお牧の方の墓所についてまとめてみました。
お牧の方がはりつけになったという話は実際にはなかった可能性も高いですが、大河ドラマ「麒麟がくる」ではどのような生涯が描かれるのか?気になるところですね。
何にしても明知町には明智光秀ゆかりの場所が多いので、訪れたらお牧の方の墓所へも行ってみることをおすすめします。