明智光秀ゆかりの地を巡り倒すZIGですこんにちは。
今回紹介するのは岐阜県恵那市にある「金幣社八王子神社」
この神社の境内には明智光秀が建立したと言われる柿本人麻呂社と、光秀が手植えしたという楓が残されているのです。
金幣社八王子神社について
金幣社八王子神社は名前の通り天照大神の八人の王子を祀っていて、平安時代の天暦3年(939年)に創建されたと言われる千年以上の歴史を持つ神社です。
ちなみに八人の王子は以下の通りですね。
- 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
- 天之菩卑能命(アメノホヒ)
- 天津日子根命(アマツヒコネ)
- 活津日子根命(イクツヒコネ)
- 熊野久須毘命(クマノクスビ)
- 多紀理毘売命(タキリビメ)
- 市寸島比売命(イチキシマヒメ)
- 多岐都比売命(タキツヒメ)
その後はたびたび造営が繰り返されますが、現在の社殿となったのは延宝4年(1676年)。当時の領主だった遠山半九郎伊次の造営によるもので、現在は県の重要文化財指定を受けています。
ちなみに。
実は遠山伊次が現在の社殿を造営したのには逸話がありまして。
伊次はなかなか後嗣に恵まれなかったらしいです。後継ぎがいないというのはハッキリ言って死活問題ですよね。家が取り潰しになりかねません。
そんな伊次が八王子神社で祈願したところ、何と子供(伊清)を授かることが出来たのだそうです。伊清が生まれたのは伊次50歳の頃。伊次は53歳で没しているので、亡くなる3年前に生まれた待望の後継ぎでした。
もちろん伊次は大喜び。そこで気合を入れて八王子神社の社殿を今に残る立派なものに再建した・・・とのこと。きっと相当うれしかったんでしょうね(笑
そんな逸話もあり、金幣社八王子神社は「子授け」のご利益があるとも言われているそうです。
金幣社八王子神社へのアクセス
金幣社八王子神社は明智駅から徒歩で5分ほど。遠山氏の菩提寺である龍護寺のとなりにあります。なので併せて訪れてみると良いですね。
車の場合は大正村に無料駐車場があるので、そちらに車を止めて歩いて行くと良いでしょう。こちらからも5分程度で辿り着きます。
金幣社八王子神社
というわけで金幣社八王子神社へ。
この時は龍護寺の後に八王子神社を訪れました。
こちらは八王子神社正面の鳥居と社号標です。
奥に階段が見えますね。
それほど段数はないのですが、割と急な階段を登っていくと唐門が見えてきます。
それほど大きくはないのですが、重厚感のある唐門があります。
この唐門も社殿同様、県の重要文化財指定を受けているそうです。
ちなみにこの唐門、元々は明知城の大手門だったらしいですね。それが移築されたとのこと。
言われてみれば遠山氏の家門「丸に二つ引両」が付いているのが確認できますね。
唐門をくぐって境内へ。
伊次が造営したという本殿が見えてきました。
本殿の前に茅の輪がありますね。
八王子神社を訪れたこの日は6月18日。そういえば夏越の祓の時期ですね。
茅の輪の横の看板にはくぐり方が解説されてました。
こういうのは素直に従います(笑
微妙にまだ1年の前半が終わってませんでしたが、後半半年の無病息災を祈ってきました。
柿本人麻呂社と光秀手植えの楓
本殿に向かって左手に明智光秀が建立したと言われる柿本人麻呂社があります。
こちらも県の重要文化財指定とのこと。この社殿には桔梗紋が彫られていると聞いていたのですが、ざっと見た感じではどこに彫られているのかが分かりませんでした。
見落としただけかもしれませんが(汗
一体どこに彫られていたのだろう・・・
そして手前にあるのが手植えの楓ですね。
楓の前には看板が立っていました。
かなり年季の入った看板です。
明智光秀は学問だけじゃなく和歌の上達も願い、学問所には天神(菅原道真公)を祀り、八王子神社では柿本人麻呂を祀ったってわけですね。
まとめ
というわけで金幣社八王子神社を紹介しました。
この周辺は明知城や龍護寺、お牧の方の墓所など明智光秀ゆかりの地とされる場所が多く存在します。
訪れたなら八王子神社も忘れず見ておくと良いですね。