こんにちは!ZIGです。
今回は京都府亀岡市にある亀山城を訪れたので紹介します!
亀山城は明智光秀が丹波攻略の拠点として築城した城。そして本能寺の変の際、光秀がこの亀山城から出陣したこともよく知られてますね。
目次
丹波亀山城について
亀山城は三重県のも存在するので、ここでは「丹波亀山城」で統一して解説していきます。
丹波亀山城は天正5年(1577年)、亀岡盆地の中心部に明智光秀が築城を開始。丹波攻略の拠点として、そして平定後の拠点としても活用するためのものだったと考えられます。
丹波平定後は明智光秀が城主を務め、丹波経営の拠点となりました。
その後光秀は山崎の戦で討たれてしまいますが、亀山城は秀吉が重要拠点として活用しています。羽柴秀勝や豊臣秀勝、小早川秀秋、前田玄以などといった武将が城主を務め、城下町も整備されました。
江戸時代においても家康が亀山城を重視し、譜代大名の岡部長盛を城主に据えています。その後天下普請によって近世城郭に大改修。この改修で縄張りを務めたのは藤堂高虎ですね。
こうして光秀亡き後も存在した亀山城ですが明治になって廃城となり、民間へ払い下げられることに。
その後宗教法人「大本」の所有となり現在に至ります。
現在は当時の遺構の大半が失われていますが、復元された石垣があり、一部は昔の石垣が残っていると言われてますね。
丹波亀山城アクセス
丹波亀山城はJR嵯峨野線「亀岡駅」が最寄り駅。駅を出ると目の前にイオンがあるのですが、そこを迂回して南へ向かうと10分程度で到着します。
車でアクセスする場合は京都縦貫自動車道「亀岡IC」から10分ほど。距離的には6.5km程度ですね。
駐車場はあるのですが・・・
丹波亀山城は現在宗教法人「大本」の本部になっているので、大本の駐車場があります。
ただ、丹波亀山城の見学にここを使って良いものなのか?ちょっと分からなかったので私は別の場所に止めました。
近隣(イオンの隣)にコインパーキングがあるので、この時はここを利用。
実際歩いてみて思いましたが、大本本部だけではなく南郷公園の方にも遺構(外堀)が残っているので、こちらに駐めた方がスムーズなんじゃないかな?という印象でした。
丹波亀山城址
というわけで丹波亀山城の遺構を見に行ってきました!
まずは見学の許可をもらわなければならないので、大本の「みろく会館」の受付へ向かいます。
みろく会館は駐車場の奥に見えるデカい建物です。
ちなみに私、宗教法人の本部になってるということで「勧誘とかされたらどうしよう・・・・」とちょっとビクビクしながら受付に行ったのですが、別にそういうことは何もありませんでした(笑
受付も名前を書くだけですし、後は簡単な解説とパンフレットを受け取って受け付け終了。
とりあえず亀山城址のかなりのエリアが神域となっていて入れないようになっているので、そこには立ち入らないようにして下さいねーとの事でした。
というわけで受付後はさっそく見学可能なエリアへ向かいます。
城址の見学可能部分には看板が立てられているので迷うことはありませんでした。
内堀跡と天下普請の刻印が残る石垣
まず最初に目に入ったのは石垣と内堀でした。
ここは多分本丸に隣接する曲輪の石垣なんだと思います。
綺麗に積まれているので、おそらくは復元されたものなんじゃないでしょうか。
・・・で、ちょっと写真が切れちゃってますが、下の写真の左手に映っているのが内堀跡です。
実はただの池だと思ってスルーしちゃいました(汗
跡で調べたら内堀の一部だと分かったのですが、石垣ばっかり目が行ってしまい写真は取り忘れ。不覚です・・・
ちなみにこの石垣には天下普請の際の刻印が残る岩が積まれてます。
刻印はハッキリ確認出来ました。
あまり遺構が残っていない亀山城の貴重な見どころですね♪
あとはくさび跡がついた石も結構確認出来ました。
なので石垣は復元かもしれませんが、当時の石もある程度使われているのでは?という感じですね。
本丸跡(天守台)
石垣と内堀を見たら次は本丸へ。
本丸へは大本の万障殿という建物の横を通ります。
建物の横に小さな門が2つあり、ここを通り抜けると本丸エリアとのこと。
ちなみに2つめの門がある辺りが本丸の入口だったそうです。
左右の石垣は復元っぽいですねー。
・・・で、本丸に入るとでっかい天守台がすぐ目に入ります。
これはアレですね、丹波亀山城を調べると良く写真が出てくるあの石垣ですね(笑
近くで見るとかなり巨大な天守台なのが分かります。
天下普請の後、この天守台の上には5重5階の大天守と2重の小天守があったと言われてますね。
そしてこの石垣の下側3分の1程が明智光秀時代の穴太積みがそのまま残ってるのではないか?と言われてます。
なので上部と下部で印象も違うのかな?と思ってしばらく眺めてたのですが、あまり違いは判別できませんでした(汗
いやしかし、丹波亀山城の写真というとこの写真ばかりが出てくるのは納得。
他に見学できる場所が無いからですね(笑
この石垣より先はもう神域で立ち入り禁止になっているので、これ以上先へは進めなくなってました。
本丸に残る井戸跡
そういえば天守台のそばに井戸跡がひとつ残されてました。
この井戸は江戸時代より前からあったものだと言われてるそうです。
あとは井戸周辺に土塁っぽい地形もありました。
このあたりももしかしたら確認出来る数少ない遺構なのかもしれません。
光秀が手植えしたと言われるイチョウの木
そして天守台の前には看板がひとつ立ってました。
解説によると後ろに生えてるイチョウの木が光秀が植えたものとのこと。
ただ初代のイチョウは江戸時代中期に台風で倒れ、若木を植え替えたという記録が旧亀山藩士の家に残ってるそうです。まあなので光秀が植えたイチョウそのものではないかもですが、光秀が居城としてた当時もここにはイチョウの木があったのかもしれません。
・・・とまあ確認出来る遺構はこの程度。
あとは北側の南郷公園へ外堀を見に行きました。
北側外堀(南郷公園)
大本の本部を出て北へ向かうとすぐ南郷公園があります。
完全に当時と同じ広さなのかは分かりませんが、ここが北側の外堀跡ですね。
丹波亀山城は城下があった南側には内堀・外堀・惣堀があったそうですが、北側はこの外堀のみだったそうです。有事の際には近くを流れる保津川をせき止め、周辺の水田がすべて堀となる仕組みだったためとのこと。
農民からしたらたまったもんじゃない気もしますね(汗
そんなわけで堀が一重なんだそうです。
ちなみに上の写真の橋あたりには亀山城の北側出入り口「保津門」があったらしいですね。看板が立っていました。
外堀に沿うように南郷公園があります。
この公園には明智光秀像が建っているので、丹波亀山城を見に来たら一緒に訪れておくと良いですね。
堀はかなり幅がありました。
ちなみに本丸側は木がしっかり茂ってるので見えませんが、おそらくこの木の向こうに天守台が存在しているはず。
南郷公園の明智光秀象
・・・で、南郷公園を端まで歩くと明智光秀公の像がありました。
この像は割と最近建てられたらしいですね。
像の足下にはしっかり桔梗のデザインが施されてました。
ちょっとアップで一枚。
凜々しい感じもしますが、どこかやさしげな印象の像ですね。
滋賀県の坂本城址公園にも明智光秀象がありますが、個人的にはこちらの方が光秀らしさが出てるんじゃないかな?という感じでした(完全に個人の感覚ですが笑)。
まとめ
というわけで丹波亀山城を紹介しました!
大半の遺構がなくなってしまっている点が残念ですが、復元された天守台の石垣はなかなかに見ごたえがありました。なので光秀とゆかりが深い城だけに光秀ゆかりの地を巡るなら一度訪れてみると良いですね!