こんにちは!ZIGです。
今回は本能寺跡を訪れたので紹介します。
本能寺と言えばもちろんあの「本能寺の変」の舞台となった場所。明智光秀が織田信長を討った地ですね。現在本能寺は移築されて別の場所に建ってますが、当時は「元本能寺町」のあたりにありました。
本能寺跡について
本能寺は法華宗大本山の寺院ですが、何よりも「本能寺の変」の舞台として広く知られてますね。
ただ、本能寺の変が起きた当時は現在とは別の場所に建ってました。
現在本能寺は地下鉄東西線「河原町御池駅」の南にあります。しかし本能寺の変当時は南西に1kmほど離れた元本能寺町のあたりにありました。なので現在本能寺がある場所で本能寺の変が起きたわけではないって事ですね。
本能寺の変が起きた後、一度本能寺は同じ場所に再建されるのですが、その後秀吉の都市計画によって現在の場所へと移転することになったそうです。
そのため元々本能寺があった場所には現在石碑が残るのみ。
信長が最後を迎えた場所は当時の姿を何ひとつ残してはいません。
・・・といってもやっぱり一度は訪れてみたくなっちゃいますよね♪というわけで今回は本能寺と併せて本能寺跡に訪れてみました。
本能寺跡アクセス
本能寺跡は車で行くには適さない場所なので、基本的には公共の交通機関を利用する形になります。
最寄りは市バスの「四条西洞院」バス停ですね。ここから北へ徒歩数分で到着します。
電車を使う場合は阪急京都線の「大宮駅」もしくは「烏丸駅」が最寄り駅。どちらの駅からでもおおよそ徒歩10分ほどで本能寺跡へ行くことができます。
また、地下鉄烏丸線の「四条駅」からも10分くらいですね。ただ阪急京都線の駅を使うよりも若干こちらの方が距離があるので、どちらかと言えば大宮駅か烏丸駅を利用した方が良いでしょう。
駐車場はなし
本能寺跡には遺構も何も残っていないので、当然ですが専用の駐車場はありません。
その点からも車でのアクセスは適さないですね。どこか近くのコインパーキングに駐車して、あとは公共交通機関か徒歩でアクセスことをおすすめします。
歴史的事件の現場・本能寺跡
というわけで本能寺跡へ行ってきました!
さっそく目的地の写真になりますが、これが本能寺跡の碑ですね。
本能特別養護老人ホームの前、油小路通り沿いに建てられています。
ちなみに本能寺跡碑には本能寺の解説がされてますが、本能寺の変についてはほとんど触れられてません。
本能寺の創建からこの地へ移築された経緯、そして本能寺の変後に再び移築された過程が簡単に説明されているのみでした。
こちらは本能跡碑がある油小路通りの写真です。
あんまり周辺の写真を見たことが無かったので敢えて撮ってみました(笑
見てもらうと分かるとおり、通り沿いに石碑だけがあるって形です。
・・・そういえばこの本能寺跡碑、微妙に位置がズレてる事が知られてますね(汗
本能寺があったのは現在本能特別養護老人ホームがある場所では無く、1区画北。元本能寺町の辺りだったことが分かってます(石碑は元本能寺南町に建ってますね汗)。
ちなみに老人ホームの北東側の端にも本能寺跡の石碑が建っています。
こちらは塀に囲まれているので見落としやすいですね。
石碑には「此付近 本能寺址」の文字が確認出来ます。
こちらの石碑の方が昔からあったっぽいですね。
ちょうどこの辺りが本能寺の正門だったと思われるので、ある意味この石碑の方が正確な位置を表してると言えるかもしれません。
まさにこの辺りであの歴史的な事件が起きたわけですね。
光秀は何を思いながらここにやってきて、信長はここで最後に何を想ったのでしょうか・・・
南蛮寺跡
本能寺の変が起きた当時、本能寺の東300m程の場所に南蛮寺があり、当時南蛮寺にいたイエズス会の宣教師達は事件の一部始終を見ていたと言われてます。
なので南蛮寺跡も併せて訪れてみました。
本能寺跡から蛸薬師通りを東へ300mほど歩いた場所の左手に南蛮寺跡があります。
・・・といってもこちらも遺構が残っているわけではなく、石碑や看板が残るのみ。以下の画像の赤枠部分にあるのが南蛮寺跡の看板ですね。
ここは本当に見落としやすいので注意です(汗
蛸薬師通り沿いではありますが、良く見ていないとまず気付きません。
目印としては「誕生寺」の看板が出ているので、こちらの方が分かりやすいですね。
南蛮寺跡の看板はその道向かいにあります。
こちらが南蛮寺跡の看板ですね。
こちらも「此付近」に南蛮寺があったという記載になってました。
ちなみに看板の下には南蛮寺跡の石碑もあります。
この石碑もかなり分かりにくい場所に建ってますね(汗
駐輪所の隅にあるので、自転車がたくさん泊まっていると完全に見落とします。
ここにあった南蛮寺は京都におけるキリスト教と南蛮文化の中心だったらしいですね。
本能寺の変が起きた日も南蛮寺では早朝ミサの準備がされてました。しかし準備をしている時に教徒が慌てて寺に駆け込んできて、危険だからミサは中止した方が良いと伝えます。
そりゃ周辺には明智光秀の1万を超える軍勢がいたわけですしね(汗
なのでこの日、南蛮寺にいた宣教師や教徒達は光秀の軍勢や炎上する本能寺をその目でしっかり見たことはまず間違いないでしょう。南蛮寺が近くにあったという話は聞いた事がありましたが、ここまで近かったとは思いませんでした。
まとめ
というわけで本能寺跡を紹介しました!
現在本能寺がある場所からは微妙に離れていますが、歴史好きなら併せて訪れておきたい場所ですね。遺構と言えるものが何も無いのが残念ではありますが、訪れてみると当時の建物の位置関係が分かって想像をかき立てられます。
未だに謎の多い「本能寺の変」ですが、真相が解明される日は来るのか?気になるところですね。