こんにちは!ZIGです。
今回は京都府長岡京市にある恵解山古墳(いげのやまこふん)に行ってきたので紹介します。
この古墳は山崎の戦いにおいて明智光秀が本陣を置いた可能性があると言われてますね。
恵解山古墳について
恵解山古墳は古墳時代中期(4世紀末~5世紀末)に作られた古墳で、全長128mと周辺地域では最大規模の前方後円墳。
幅約30mの周壕(古墳の周囲につくられた堀)も存在し、周壕も併せれば全長は180mにも達します。これだけの規模の古墳なので、おそらくは古墳時代中期にこの地域全体を治めていた支配者の墓ではないか?と考えられているみたいですね。
そんな恵解山古墳からは古墳時代の出土品だけでなく、火縄銃の弾や堀跡が見つかっていて、明智光秀が本陣を置いた場所ではないか?とも言われています。
「甫安太閤記」「細川家記」「新撰豊臣実録」などによれば山崎の戦いの際、明智光秀は「御坊塚」に本陣を置いたとされてます。恵解山古墳この御坊塚の候補のひとつというわけですね。
恵解山古墳アクセス
恵解山古墳は勝竜寺城の南西2~300m程の場所にあります。なので勝竜寺城と併せて訪れて見ると良いですね。
一応最寄りの駅としては阪急西山天王山駅から徒歩15分ほど。1.5キロほどの距離になります。
バスの場合は阪急バス「久貝」停留所が近いですね。バス停から北に5分ほど歩くと恵解山古墳に到着します。
駐車場はなし
恵解山古墳は周辺が公園になっているのですが、駐車場はありませんでした。
なのでどこかに車を止めて歩いて行く形になりますね。
西山天王寺駅周辺にコインパーキングが複数存在するので、その当たりを利用すると良いかと思います。
御坊塚候補のひとつ「恵解山古墳」
というわけで恵解山古墳に行ってきました!
こちらは古墳の前方側、四角になっている方ですね。
近くで見ると確かにデカいですねー。
しっかり古墳としての形を残していますし、復元の埴輪がしっかり並べられているのが確認出来ます。確かにこれだけ大きければ本陣を置くのにも適してる気がするな・・・という感じ。
ちなみにこの前方部分に堀があったらしいですが、調査後に埋められてしまったのかその姿は確認できませんでした。
とりあえず登ってみましょう。
ちなみに後方部の高さは7mくらいだそうです。
埴輪が綺麗にならんですね。
ちなみに恵解山古墳の後円部は墓地になっています。
ここは江戸時代の頃から墓地として使われていたみたいですね。
前方部からはビルの向こうに天王山が見えました。
ここが本当に本陣であったなら、光秀もこの方角を見据えていたのかもしれません。
ちなみに古墳の上には出土品に関する解説と共に、山崎の戦いで陣が置かれた可能性を解説するプレートが設置されていました。
火縄銃の弾と堀が見つかっているのは事実なわけですし、いずれかのタイミングで陣が置かれたのは間違いないっぽいですね。
あとはこれと言って見るところもないので、写真を撮って帰りました(笑
いやでもデカいですこの古墳。
歴史好きならこれだけでテンション上がるかもしれません(笑
もうひとつの御坊塚候補「境野一号墳」
ちなみにこの時、もうひとつの御坊塚候補と言われる「境野一号墳」も見てきました。
こちらの古墳からも火縄銃の弾などが見つかっているらしいですね。
場所は以下の通り。
恵解山古墳から南へ2~300mほど行った場所になります。
なので恵解山古墳から歩いて行けば数分程度。ちょっと歩いて現地向かいました。
・・・が、今度は古墳が見つからない(汗
工場や住宅地が密集している場所に出てしまい、ホントにここに古墳あるの?というくらい古墳らしき地形も見当たりません。
・・・で、住宅地の中をウロウロしてようやく見つけました。
「明智光秀本陣跡」と石碑が建ってました。
目印となるのはこの石碑と看板のみ。古墳に関しては木が生えまくってるせいか確認できませんでした。
とりあえず看板の解説だとこの古墳は標高25m程の高さがあり、本陣を置くのにも適していたと考えられる・・・とのこと。こちらの古墳からも火縄銃の弾と空堀が見つかっているという記載もありました。
確かにこちらも勝竜寺城に近く、本陣を置くのに適してると言えそうです。
どちらが本当の本陣だったか?これは判断難しいところですね(汗
まとめ
というわけで「御坊塚」かもしれない恵解山古墳と、もう一つの候補地・境野一号墳を紹介しました。
どちらも勝竜寺城から近いですし、併せて訪れて見ると良いんじゃないかと思います。
流石に古墳だけを目当てにここまで来るってのはちょっと物足りないと思うので(汗)まあでも古墳とか好きな方は恵解山古墳だけでも楽しめると思いますよ♪