こんにちは!ZIGです。
今回は滋賀県内にある明智光秀ゆかりの地をまとめて紹介します。
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀にとって滋賀県は縁の深い地ですね!光秀が長く城主を務めた坂本城や、明智一族の菩提寺のなっている西教寺があるのも滋賀県です。今回はそんな滋賀県内の光秀と縁のある場所を実際に巡り、まとめてみました。
「麒麟がくる」でも登場する場所があると思うので、明智光秀の足跡を辿りたい方は是非ご覧下さい♪
目次
【7選】滋賀県の明智光秀ゆかりの地まとめ
坂本城跡(滋賀県大津市)
坂本城は10年以上にわたって光秀が城主を務めた城ですね。
比叡山焼討ち後に近江滋賀郡を与えられた光秀は坂本城を築城し、滋賀郡統治の拠点としました。宣教師ルイス・フロイスが「安土城に次ぎ、明智の城(坂本城)ほど有名なものは天下になかった」と書き残すほど豪華壮麗だった坂本城は信長が安土城を作る際にも参考にしたという話がありますね。
残念ながら現在は多くの遺構が失われていますが、城址碑や明智塚が残されています。
西教寺(滋賀県大津市)
西教寺は光秀との縁も深く、明智一族の菩提寺でもあります。
西教寺は比叡山焼討ちで被害を受けますが、光秀は西教寺の再興に尽力した事が知られてますね。現在も西教寺には移築された坂本城の陣屋や城門が残されています。西教寺の総門は坂本城の城門ですね。
また境内には明智一族の墓の他、正室・煕子の墓や妻木一族の供養塔なども残されています。
安土城跡(滋賀県近江八幡市)
安土城は言わずと知れた織田信長の居城ですね。
天下統一の象徴とも言える豪華壮麗な城でしたが、本能寺の変で信長が命を落とした後、まもなく天主が焼失してしまいました。有名でありながら実は信長自身3年ほどしか居住しておらず、またわずか9年ほどで歴史から姿を消した城でもあります。
現在は城跡として整備され、大手道と天主を含む主郭部、摠見寺跡周辺エリアなど遺構を見て回ることが出来るようになっています。
聖衆来迎寺(滋賀県大津市)
聖衆来迎寺は坂本城や西教寺と同様、大津市にある天台宗の寺院。
ここには浅井・朝倉軍との戦いで命を落とした信長の家臣・森可成公の墓があることが知られてますね。そのために比叡山焼打ちの災禍を免れたと言われています。その結果多くの寺宝が現存していて「近江の正倉院」とも呼ばれてますね。
また聖衆来迎寺には坂本城の城門が移築され、現在も表門として使われています。
盛安寺(滋賀県大津市)
盛安寺も坂本城と同じく大津市にあります。西教寺と同じく天台真盛宗の寺院ですね。
盛安寺には光秀公ゆかりの陣太鼓が今も残されています。この陣太鼓で敵襲を知らせたため、光秀から恩賞を賜ったと言われてますね。また、盛安寺は穴太衆が作った石垣が残されているので、こちらも見応えがあります。
明智左馬之助湖水渡り伝説の地(滋賀県大津市)
「明智左馬之助の湖水渡り伝説」は川角太閤記などの軍記物で見られる有名な逸話ですね。
山崎の戦いで明智光秀が敗北した際、明智左馬之助(明智秀満・三宅弥平次)は安土城を守っていましたが、敗報を聞いて坂本城へ向かいます。しかしその途中で敵方の軍勢と鉢合わせてしまいました。
正面から戦っても勝ち目の無い秀満は馬と共に琵琶湖を渡り、坂本城にたどり着いた・・・という話ですね。
琵琶湖畔にはこの逸話にちなんだ「明智左馬之助湖水渡碑」と「駒止めの松」があります。
十兵衛屋敷跡(滋賀県多賀町)
多賀町佐目にある十兵衛屋敷跡は光秀が生まれ育った場所と言われています。
近江の地誌「淡海温故録(おうみおんころく)」には佐目に土岐氏の庶流にあたる明智十左衛門という人が住んでいて、その息子が明智十兵衛光秀であるという記載があります。またこの地域には「光秀が住んでいた屋敷があった」という口伝が残されていて、史料と口伝の一致から光秀は近江出身であるという説の根拠になってるわけですね。
一般的に美濃で生まれたと言われている光秀ですが、果たして・・・?
まとめ
というわけで滋賀県の明智光秀ゆかりの地を実際に訪れてまとめてみました。
滋賀県は明智光秀が歴史の表舞台へと現れ、織田政権の中で頭角を現していく時期と縁が深い場所。2020年大河ドラマ「麒麟がくる」でもしっかりこの時期が描かれる可能性が高いですね。
大河ドラマの放送に合わせて実際に訪れてみるとよりストーリーを楽しめるかもしれませんよ♪