盛安寺 | 光秀公陣太鼓が残る天台真盛宗の寺院(滋賀県大津市)

盛安寺

こんにちは!ZIGです。

今回は滋賀県大津市にある盛安寺を訪れたので紹介します。

盛安寺には明智光秀ゆかりの陣太鼓があるとのことで、明智光秀ゆかりの地を巡る中で訪れてみました。

盛安寺について

盛安寺は天台真盛宗総本山・西教寺の末寺のひとつ。

実はいつ創建されたのかは定かではないそうです。ただ一時期は廃寺状態だったのか、荒廃していた時期があったみたいですね。それを越前朝倉氏の家臣・杉若盛安が文明年間(1469年~1486年)に再興し、自身の名前を付けたと伝えられています。

盛安寺のパンフレットには天文年間(1532年~1555年)と記載されていたのですが、同じ盛安寺の境内の看板には杉若盛安が朝倉貞景の家臣とあったので、文明年間が正しいと思われます。貞景は1512年に亡くなっているので天文年間だと辻褄が合いません(汗

盛安寺には天智天皇の勅願により創建された崇福寺の遺物である一木彫り十一面観音像が安置されているほか、明智光秀ゆかりの陣太鼓が残されていることが知られてますね。

今回はその陣太鼓を目当てに訪問したわけです♪

 

盛安寺アクセス

盛安寺
〒520-0113 滋賀県大津市坂本1丁目17-1

盛安寺は坂本城址公園のほぼ真西、比叡山寄りの場所にあります。

公共機関を使う場合はJR湖西線「唐沢駅」から徒歩15分ほど、京阪電車「穴太駅」から徒歩5分ほどで到着します。唐沢駅からアクセスする場合はちょっと登り坂になるのでその点は注意ですね。

駐車場もあるので車でアクセスも可能ですが、盛安寺周辺は住宅地で道も狭いので気を付けてアクセスして下さい。特に盛安寺横の道は車でのすれ違いはまず出来ない位の幅しかありません(汗

 

盛安寺の駐車場について

盛安寺の駐車場は寺の西側、墓地の方にあります。

見た感じではおそらく10台くらいなら駐められるんじゃないかな?位の規模でした。舗装はされておらず、入口もちょっと狭いのでご注意を。

 

天台真盛宗の寺院・盛安寺

というわけで実際に盛安寺へ行ってきました!

 

駐車場に車を止め、寺の方へ歩いて行くとまるで城のような立派な石垣が目に入ります。

盛安寺の石垣

この石垣は穴太衆(あのうしゅう)が作ったものであることが知られてますね。

穴太衆は安土桃山時代に活躍した石工集団で、寺院や城郭の石垣施行を行ってました。現在の滋賀県大津市坂本穴太の出身・・・つまりこの地域出身の石工集団だったということですね。現在でもこの近くには「穴太」という地名が残っています。

穴太衆は古くは古墳築造も行っていた石工の末裔とも言われていて、安土城の石垣の施行も行ってますし、織田・豊臣時代の城郭の石垣構築に多く関わっている事が知られてます。

今でも大津市周辺には穴太衆が関わった石垣が多く残されてますね。

 

山門

一旦東側へ周り、山門から境内へ入ります。

盛安寺の山門

山門手前にも立派な石垣と石段がありました。

なんというかホントに寺院と言うより城みたいな構えですねー。

 

本堂

こちらが盛安寺の本堂ですね。

盛安寺本堂

本堂はそれほど大きくありませんが、結構古いもののようで歴史を感じさせます。

 

この本堂は棟札から慶安5年(1652年)に建立された事が分かっていて、その後何度か修理も施されながら現在に至るみたいですね。構造や細部意匠は簡素な建物とのことですが、天台真盛宗寺院の古い遺構として貴重な建物なんだそうです。

そのため平成5年に大津市の指定文化財になっています。

 

ちょうどこの日は同じく大津市内にある聖衆来迎寺も訪れたのですが、建築年代が近いせいか結構似た造りをしているような印象を受けました。聖衆来迎寺は基礎部分が石造りなのでその点が異なりますが、建物のシルエットがよく似てますね-。

聖衆来迎寺

 

ちなみに本堂の横には客殿があります。

客殿には長谷川派と推定される障壁画などが残っており、滋賀県指定の名勝庭園もあるそうです。

建築年代を確定する史料が失われているらしいのですが、西教寺や聖衆来迎寺客殿とほぼ同じ年代(江戸時代前半)のものと考えられ、17世紀前半の数少ない住宅建築らしいとのこと。

そのためこちらは平成5年に国の重要文化財に指定されたそうです。

 

本堂・客殿は300円で拝観できるとのことでしたが、この日は社務所(庫裏)に誰もおらず拝観することは出来ませんでした(汗

 

太鼓楼と陣太鼓

本堂の南西側に太鼓楼が建っています。

盛安寺の太鼓楼

この太鼓楼の2回に光秀公ゆかりの陣太鼓があります。

太鼓楼は自由に入って良いと札があったので入らせて頂きました。

 

2回に上がると、天井から太鼓がぶら下がってます。

光秀公の陣太鼓

これが光秀公ゆかりの陣太鼓ですね。

盛安寺のパンフレットには「天正年間のある夜、盛安寺の『暁の鼓(夜明けを知らせる太鼓)』を打って敵の急襲を知らせた恩賞として、光秀から庄田8石を賜った」という話が書かれてました。

修復されているのか意外と真新しい感じですねー。

 

壁には由緒書きらしい書状が額に入ってました。

光秀公陣太鼓と共に残る書状

内容は・・・分かりません(爆

ただ左の方に盛安寺って文字が書かれてるのが何となく分かりますね!それだけでは内容がさっぱりですが(笑

 

額の下には「明智公陣太鼓」の札がありました。

明智光秀公陣太鼓の札

「陣太鼓」というくらいなので、元々は戦に使われたものなのかもしれませんね。

元は坂本城にあったものとも言われてます。

 

観音堂

盛安寺の観音堂

太鼓楼の道向かいに観音堂があります。

観音堂というくらいなので、もしや十一面観音像はここに安置されてるのかな?と思ったのですが、どうも違うっぽいです・・・

 

収蔵庫

盛安寺の収蔵庫

盛安寺の道向かい、観音堂の西側に収蔵庫があります。

どうも十一面観音像はこちらに安置されているみたいですね。

横にあった看板にも「重要文化財 崇福観音泰安大悲殿」と書かれてました。拝めば幸せを招き福が授かる、のだそうです。

 

ちなみに十一面観音立像は一般医は5月・6月・10月の毎週土曜日、正月3が日、5月の連休に開扉・公開されるとのことでした(盛安寺のパンフレットより)。なので拝みたい方は日程を併せて訪れてみると良いですね。

 

まとめ

というわけで盛安寺を紹介しました!

光秀公の陣太鼓目当てで訪れましたが、盛安寺は穴太積みの石垣も結構見応えがありました。ちょっと拝観が出来なかったのが残念でしたが(笑

盛安寺は天台真盛宗総本山・西教寺からも近いので、併せて訪れてみると良いんじゃないかと思います。

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