こんにちは!ZIGです。
今回は岐阜県土岐市にある「土岐高山城」を紹介します。
土岐高山城は土岐源氏の館を守るために作られた砦。明智光秀のゆかりの地を巡る中で訪れたのでまとめてみました。
土岐高山城について
実は岐阜県には「高山城」が二つあります。ひとつは高山市にあり、もうひとつが土岐市ですね。
そのため分かりやすいよう「土岐高山城」と読んでますが、正式名称は「高山城」だと思われます。
昔、現在の土岐市内には光秀の源流である土岐源氏が居館とした「大富館」「浅野館」がありました。高山城はそうした居館を守るための砦として、承久の乱(1221年)の頃に土岐氏一族・高山伊賀守秀頼によって作られたといわれています。
ちなみに戦国時代になると、この地域は織田家・武田家の間で戦いが繰り広げられました。
天正2年(1574年)には武田勝頼が東美濃に侵攻し、高山城でも激しい戦いが繰り広げられた記録が残されてるそうです。この時の高山城主・平井頼母は織田家に臣従していたので、武田軍の攻撃を受けたようですね。
土岐高山城へのアクセス
土岐高山城はJR中央本線・土岐氏駅からとほで約20分、タクシーなら10分ほどで行くことが出来ます。
車の場合は中央道自動車道・土岐ICから10分ほど。
県道69号線の信号「高山」を南に向かうと高山城に行けます。
・・・ただ、高山城への道はかなり細いので気を付けて下さい。
特に城に近くなればなるほど道が細くなり、車でのすれ違いがどう考えても無理な場所が結構あります。
以下は高山城近くで撮った写真です。
あ、ちなみにちゃんと車が来ないことを確認し、停車した上で写真は撮ってますのでご安心を(笑
見て頂くと分かるとおり、車1台通るのが限界といった感じの幅しかありません。
なので、心配な方は途中の高山公民館・高山公園辺りの駐車場を利用するとよいでしょう。
以下は高山城跡周辺の地図です。
ここからなら歩いてもさほど時間はかかりません。
歩くのヤダ!という方は対向車が来ないことを願いながら高山城跡の駐車場を目指して下さい(笑
土岐高山城跡の駐車場(三の曲輪)
というわけで実際に行ってみました土岐高山城跡。
以下は高山城跡の駐車場です。
登っている最中はちゃんと駐車できるスペースがあるか心配でしたが、意外と広い駐車場がありました。白線などの区切りは全くありませんが、おそらく5~10台くらいなら駐車できるんじゃないかと思います。
ちなみにこの時は他に車は一台も止まっていませんでした。
なのでここまで車とすれ違うこともなく助かりました(笑
駐車場の隅に高山城跡の看板があります。
3つの曲輪があったみたいですね。
・・・と、看板の横を見たら三の曲輪跡の石碑がありました。
あれ?もしかしてここが既に3の曲輪??
どうやら駐車場になっているあたりが三の曲輪だったようです。
・・・と思って駐車場入り口あたりをウロウロしてみたら堀切跡の石碑を見つけました。
やっぱり駐車場が三の曲輪で間違いないようです。
堀切の跡は全く残ってないようでしたが、三の曲輪を降りてみると曲輪だったことがよく分かります。
これは駐車スペースと反対側の斜面ですね。
何やら「山の神」という看板が付いた岩がありました。
どういう謂れのある岩なのかは分かりません(汗
反対側にも降りてみました。
駐車スペース側の斜面になります。
こっちもやっぱり人工的な感じがしますね。
一の曲輪
駐車場周辺を一通りウロウロした後、一の曲輪へと向かいます。
門の横には石碑がありました。
三の曲輪から一の曲輪へ向かうあたりはしっかり整備されちゃってますね。
ちなみに一の曲輪への門の手前あたりに穴弘法へ向かう道があります。
時間に余裕がある方はそちらも寄っていくと良いでしょう。あまり保存状態は良くないようですが、高山城の第二砦跡へも行くことが出来るようです。
こちらが一の曲輪です。
しっかり芝生になってますね。
一の曲輪には休憩所と物見櫓が作られてました。
こちらが休憩スペース。
テーブルもありますね。
名前は「桔梗亭」だそうです。
土岐氏にちなんでの命名ですね(笑
休憩スペースの近くに一の曲輪の石碑がありました。
こちらが物見櫓。
そこそこ大きいですね。
名前は「桔梗櫓」だそうです(笑
こちらも1回は休憩出来るスペースになってました。
物見櫓からは周辺が一望できます。
高山城がある山は標高で183mですが、麓からで言えば50mほど。なのでそれほど高さはありません。
ただ周辺は割と平地のようなので、砦を作るにはちょうど良い場所だったんでしょうね。
物見櫓を降り、一の曲輪の隅へ向かうと井戸後の石碑がありました。
井戸もあったみたいですね。
一の曲輪の北端から写真を撮ってみました。
やけに綺麗に曲輪が残ってるので、ある程度整地してるっぽいですね。
こちらは二の曲輪側の斜面。
こちらも綺麗に整地されてました。
二の曲輪
一の曲輪は安全のためかフェンスで囲われているのですが、北の端から外に出られるようになってました。
駐車場にあった縄張り図からすると、ここから二の曲輪へ行けそうです。
フェンスの外には小さな社がありました。
これは何の社でしょう・・・
フェンスを出た左手に看板発見。
屋敷跡への遊歩道(武士の小道)になってるみたいですね。
一の曲輪の外縁部、やけに細い道を歩いて行くと・・・
・・・ちょっと開けた場所にでましたが、どうみても道と言えるほどのものは見当たりません(汗
めっちゃ斜面なんですけど・・・
このあたりは少し曲輪っぽいですね。
縄張り図で見た二の曲輪の形に似てる気がします。
ただ、このあたりも平らとは言えない感じだったので、二の曲輪はあまり広いスペースではなかったのかもしれません。
・・・で、後は何とか下へ降りられる道を探してみたのですが見つかりませんでした。
道かどうかも分からない上に斜面もきつくなってきたので途中で降りるのを断念です(汗
ここで引き返して駐車場に戻りました。
まとめ
というわけで土岐高山城についてまとめてみました!
土岐氏に関係の深い、なかなか歴史の長い城だということはよく分かったのですが・・・あんまり明智光秀そのものとの関係は深くないかもですね(汗
おかしいな岐阜市のサイトには光秀ゆかりの地って書いてあったんだけどな・・・
まあしかしこの周辺は下街道高山宿として栄えた場所でもあり、見どころも多いのでゆっくり見て回るのもよいんじゃないかな?っって感じですね。