こんにちは!ZIGです。
今回は岐阜県山県市にある大桑城跡に行ってきました!
大桑城は美濃守護の土岐氏が長く住んだとされる山城で、斎藤道三によって何度も攻められた城でもあります。
目次
大桑城について
大桑城は古城山の頂上付近にあった山城で、美濃守護の土岐氏が何代も住んだ城だといわれてます。ちなみに読みは「おおくわじょう」ではなく「おおがじょう」と読みます。私はずっと「おおくわ」だと思ってました(汗
その始まりは承久3年(1224年)。
逸見又太郎義重という人が大桑郷の領主となり、建てられたのが大桑城だそうです。その後土岐氏が居城とするのですが、この城は斎藤道三の国盗りの過程で何度も攻撃を受けることになりました。その数、実に3回。
1回目は1542年。国盗りをもくろむ斎藤道三は美濃守護・土岐頼芸がいた大桑城を攻め、頼芸を尾張へ追放します。
2回目は1547年。頼芸に変わって美濃守護となっていた土岐頼純が大桑城にいたのですが、またしても斎藤道三に攻められます。頼純はこの時命を落としている模様(毒○された説もあり)。
3回目は1552年。大桑城に戻っていた頼芸がまたしても道三に攻められ、国外へ追放。
・・・とまあこんな感じで何度も斎藤道三に攻められてます。とりあえず経緯だけ見ると頼芸が気の毒ですね(汗
頼芸が追い出された後、大桑城は廃城となったそうです。
ちなみに古城山の南側の麓には城下町があったとされ、こちらは江戸時代まで残っていたらしいですね。
大桑城アクセス
大桑城は古城山の山頂にあるので、ナビで調べる場合は「古城山」で調べた方が見つけやすい知れません。私の車のナビでは「大桑城」はヒットしませんでした(汗
場所的には岐阜城から北に20km程の所にあります。岐阜城から車で40~50分ほどかかりました。
専用の駐車場あり(新登城口駐車場)
大桑城には専用の駐車場(新登城口駐車場)が整備されています。
国道200号線から古城山を登っていくと5分程で新登城口駐車場に着きました。
ここまで上ってくる道はかなり狭いので、サイズの大きい車は注意です。すれ違いも結構苦労しそう。
駐車場自体は思った以上に広く、しっかり整備されてました。
タイヤ痕が大量に着いてたので、走るの好きな方達が集まるのかも知れません(汗
大桑城跡
というわけで大桑城へ行ってきました!
新登城口駐車場の近くには古城山および大桑城跡の地図がありました。
大桑城の登城口は新登城口と旧登城口の2つがあります。
旧登城口は古城山の麓の方からの登城となるので、結構距離があります。新登城口はだいぶ山を登ったところにあるので、歩く距離は少なめ。
ただ、旧登城口から登った方が番所跡や曲輪、堀切などの遺構が見れます。なので時間と体力に余裕がある方は旧登城口から登ってみると良いですね。Googleマップで「大桑城四国堀」と検索するとおおよその場所がわかります。
今回は山頂へ近い新登城口から天守へ。
古城山登山道
というわけで駐車場に車を止め、登山道へと入っていきます。
「明智光秀ゆかりの地」ののぼりがしっかり立ってますね。斎藤道三の国盗りに関係してくる城なので、大河ドラマ「麒麟がくる」でもおそらく出番があることでしょう。
ちなみに登山道入り口付近で撮影した写真がこちら。
結構登り口の時点で標高が高いことが分かりますね。
登山道は最初こそ階段がありますが、すぐにただの山道になります(汗
道は結構険しいですね。
登ったり下ったりもあるので、歩きやすい靴は必須です。
また途中からかなりの急斜面が所々にあり、ロープが張られてる場所もありました。そういう場所だということは事前に覚悟して登って下さい。何も考えず軽装で登ると割と危険です(汗
石垣跡
少し歩いて行くと「石垣」と書かれた札がありました。
うーん、しかし石垣っぽい遺構は見当たらない・・・
ただ、このあたりは他の場所に比べると石がゴロゴロと転がってました。
これが石垣の名残なのかも知れません。
伝猿馬場
少し歩くと今度は「猿馬場」の立て札発見。
ここは確かに少しスペースがありました。
ただかなり木が生い茂ってるので、どの程度のスペースがあったのかはよく分かりませんでした。
伝台所
次に見つけたのは「台所」の看板。
ここはちょっと傾斜がありましたが、少し広いスペースがありました。山の地形をそのまま利用した曲輪だったのかなーという感じですね。
天守台
天守台近くにもかなり急な登りがありました。
足下もでこぼこなので、しっかりロープを掴んで登らないと危険です。
所々急斜面をクリアしながら登っていくと・・・
頂上の天守台付近に到着!
新登城口から大体15分くらいで着きました。険しい道でしたが距離が短くて助かります・・・
ここはそれほど広くありませんが、平らなスペースがありました。
何が書いてあるのかは良く分かりませんでしたが、石碑と小さな祠があります。
そして山頂部にはミニ天守が建てられてました。
写真だとよく分からないと思いますが、本当に小さいです。
せいぜい2~3m程度。3mは無いですね多分。
このミニ天守は1988年に建てられたものだそうです。
これはこれで遊び心があって良いですね(笑
裏に回ってみると、大桑城の年表がありました。
そして何故かミニ天守に着いている小さなドア。
とりあえず試したけど鍵かかってて開きませんでした(笑
しかしこれ、一体何のために付いてるんでしょう・・・??
どう見ても人が入れる程の大きさもありません。謎。
天守からの景色はなかなかのものでした。
土岐賴芸もここからの景色を眺めていたかもしれませんね。
【おまけ】金鷄山の名前の由来
ミニ天守の近くには古城山(金鶏山)山頂の看板がありました。
ちなみに古城山は別名・金鶏山と呼ばれてますが、この名前で呼ばれるようになった言い伝えが残ってるみたいですね。
道三に敗れた土岐氏(おそらく頼芸)が落城の際、家宝にしていた金の鶏を城内の井戸に沈め、落ち延びたという伝説があるそうです。金の鶏・・・は多分金で出来た鶏の置物って事ですよね。それを持って井戸に潜って生き延びることが出来たって事でしょう。
そういえば大桑城には切井戸が残ってるので、この井戸がそうだったのかも知れません。
せっかくだから切井戸も見てくれば良かった・・・と下山してから思いました(汗
まとめ
というわけで大桑城についてまとめてみました!
ミニ天守はなんというか、遊び心があって良いですねー(笑
こういうのって割と珍しいですし。ただ、とりあえず大桑城は思ったよりも道が急です。かなり急。登城する際はそれなりの準備をして臨みましょう。