横須賀城跡 | 高天神城攻略のために建てられた玉石垣の城

横須賀城跡

こんにちは!ZIGです。

今回は静岡県掛川市にある「横須賀城跡」に行ってきました。

横須賀城といえば高天神城攻略のために作られたことで知られてますが、変わった特徴もある城でもあります。特徴的な玉石垣は必見ですよ♪

横須賀城とは

横須賀城は高天神城の攻略のために天正6年~8年(1578年~1580年)にかけて作られた城。

高天神城と言えば武田信玄も陥とせなかった城としても知られてますね。その攻略のため、徳川家康の命で家臣大須賀康高によって築かれました。位置的には高天神城から西に6キロほど離れた場所になりますね。

そして横須賀城築城後間もない天正9年に高天神城は落城。

その後横須賀城は近隣支配の拠点となったそうです。城主は大須賀氏から渡瀬氏、有馬氏、松平氏、井上氏、本多氏と変わっていき、天和2年(1682年)からは西尾氏が8代にわたって城主となります。西尾氏は明治維新を迎えるまで城主を務めました。

 

そんな横須賀城の大きな特徴は河原石で作られた玉石垣。そして大手門が東西2つ存在するため「両頭の城」なんて呼ばれてたりもするそうです。

 

横須賀城跡公園駐車場

横須賀城跡

横須賀城跡は西側に駐車場があります。

あまり大きな駐車場ではなく、大きな車だと入り口が狭くて苦労します(汗

後で気がついたのですが、南側にも車を止められるスペースがありました。車の場合はこちらを利用した方が楽かもしれません。

 

駐車場の隅には横須賀城跡の看板がありました。

横須賀城跡

こうしてみても、やっぱり結構な規模の城だったことが分かります。

それだけ高天神城攻略が重要事項だったってのが感じられますね。

 

ちなみに横須賀城跡、横須賀城全体が残っているわけではありません。

現在残っているのはおおよそ以下の部分のみ。

横須賀城跡保存エリア

西側の二の丸や西大手門、堀などはすべて無くなってました。

東側も三の丸や東大手門、堀なども確認する限り残ってはいないようです。

 

ちなみに駐車場の西側に二の丸跡の目印がありました。

二の丸跡

現在はゲートボール場かな?

 

その横(南側)に二の丸 御殿池跡の目印もありました。

二の丸御殿池跡

側面の解説を見ると、昔は外堀だったみたいですね。

 

 

米蔵跡

米蔵跡

駐車場の北側には米倉跡がありました。

明らかに人工的に整地されているのが分かります。

 

北の丸

まずは本丸の北側を回り、北の丸に向かいます。

 

途中に防火水槽が残っていました。

横須賀城の防火水槽

解説を見ると、米倉用のものだったみたいですね。

写真だとちょっと分かりにくいですが、向かって右側の側面に菱形の紋が彫られてました。

 

 

本丸の斜面を南に見ながら少し歩くと開けた場所に出ます。ここが北の丸跡ですね。

横須賀城の北の丸跡

結構広いです。

そこそこ大きな保育園の園庭くらいのスペースはあるんじゃないでしょうか。

 

このあたりには数棟の建物が建っていたそうで、武器倉だったり城主の側室が住んでいた建物があった場所らしいです。

 

 

北の丸から見る本丸。

北の丸から見る横須賀城本丸跡

結構高低差があります。

 

そういえば北の丸跡には当時の遺構が残ってました。

北の丸跡に残る遺構

北の丸の北端にあり、排水溝もしくは庭園の一部だったのでは?と言われてるみたいですね。

確かに結構蛇行してるし、排水溝というよりはここに庭園がありましたって方がしっくりくる感じ。

 

ちなみにこれ、複製したものだそうです。

実物の上に盛り土をして、そっくり復元したものとのこと。

 

松尾山の多門櫓

北の丸の東側に松尾山への通路があります。

松尾山

松尾山は横須賀城の東端にあり、高天神城に面した側ですね。

築城当時はこっちが本丸だったのでは?とも言われてるそうです。

 

 

結構急な階段を上って山頂へ。

松尾山

 

 

登り切ると少し開けたスペースになってました。

松尾山

ここも明らかに整地された地形が残ってますね。

17世紀中頃に書かれたと言われる「遠州横須賀城図」では松尾山の東側・北側に多門櫓と呼ばれる建物が描かれているそうです。

 

多聞櫓があったと思われるあたりはコンクリで固められてました。

松尾山

発掘調査の跡でこうなったのかな?

ちょうどこの方角は高天神城に向く形になってますね。

そのための備えとしての役割もあったのかも・・・という感じ。

 

天守台東下平坦面の遺構

松尾山から北の丸に戻り、大手門側に歩いて行くと少し開けたスペースがあります。

横須賀城跡

地図によると本丸と三の丸の間にある細い通路のようなエリアですね。

池があったらしい痕跡が発掘調査で分かってるそうです。

 

三日月池北側中断の遺構

少し歩くと特徴的な石垣が見えてきました。

横須賀城跡

ここはちょうど本丸の東側の斜面になるんだと思います。

復元ではあるんですが、明らかに石垣の印象が違いますね!

河原石だけで作られている、他の城跡では見られない石垣の形状。日本の城じゃないような錯覚を覚えました。

 

三日月池

本丸を南に抜けると三日月池があります。

横須賀城の三日月池

当時の堀として唯一残っているのがこの三日月池だそうです。

 

名前の通り三日月型で、奥が左にカーブしているのが分かりますね。

横須賀城の三日月池

本来はこの南側にも堀と東大手門があったはずですが、完全に整地されていて今は何も残っていないようでした。

 

本丸南側の遺構

横須賀城跡

三日月池から少し西へ歩くと、本丸南側の遺構が見えてきます。

 

横須賀城の写真を探すとよく出てくる景色がここですね。

横須賀城跡

ここも特徴的な河原石の石垣が復元されてます。

「城」というより「要塞」という言葉がしっくりくるような気がしました。

ホント石垣だけ見ると日本の城じゃないのでは?って感じがしちゃいます。

 

 

こちらは西の丸ですね。

横須賀城跡

 

それでは本丸へ。

横須賀城跡

結構階段が急でした(汗

 

本丸および天守台跡

本丸へ上ると、横須賀城の石碑がありました。

横須賀城跡

 

その東側に天守台跡。

横須賀城跡の本丸跡

 

石碑の西側には本丸跡土坑群。

横須賀城跡

土坑は様々な用途で使われる穴で、発掘調査では17~18世紀の陶磁器が出土したそうです。

 

 

天守台は以外と小さい印象でした。

横須賀城跡の天守台

 

 

本丸から南を見ると、遠くに遠州灘を臨むことができます。

写真だとちょっと分かりにくいですが(汗

横須賀城跡から見る海

こうしてみると結構な高台に作られてるのが分かりますねー。

ちなみに横須賀城築城当時は遠州灘から横須賀城北西側にかけて深く入り込む入り江があったそうで、そこが船着き場になっていたとのこと。この入り江は1707年の宝永地震による地盤隆起で干上がってしまい、船着き場も使えなくなってしまったらしいです。

うーん・・・ここから遠州灘までかなり距離もあるっぽいですし、入り江が干上がるレベルで地盤隆起ってどんな規模の地震だよ・・・

と思って調べたら宝永地震は南海トラフを震源とした地震で、記録に残る日本最大級の地震って言われてるんですね。そりゃ被害も甚大なわけだ(汗

 

 

・・・とまあこんな感じで現存するエリアをぐるっと一回りしたので観光終了。

現存するエリアは半分以下ですが、それでも30分ほどはかかった印象。やっぱり結構な規模の城ですねー。

 

横須賀城跡公園アクセス


〒437-1304 静岡県掛川市西大渕

  • バス:JR袋井駅前3番乗り場から秋葉中遠線「大東支所」行又は「横須賀車庫前」行で「七軒町」下車、徒歩5分
  • 車の場合は東名掛川ICより約30分。近隣まで行くと看板が結構あります。

 

まとめ

というわけで横須賀城の感想をまとめてみました!

正直高天神城ほどメジャーじゃないし、あまり期待してなかった(失礼)んですが・・・思った以上に見応えがありました。

高天神城を見に行くことがあればさほど距離も離れていませんし、一緒に観光してみると良いですね♪

とりあえず、特徴的な河原石の石垣は必見です!