福知山城 | 大量の転用石でも知られる丹波の城郭(京都府福知山市)

福知山城天主

こんにちは!ZIGです。

今回は京都府福知山市にある福知山城を訪れたので紹介します。

福知山城と言えば明智光秀の城として非常に有名ですね!石垣に大量の転用石が使われてる事でもよく知られています。

福知山城について

福知山城は丹波を平定した明智光秀が丹波統治の拠点の一つとした城。

元々ここには横山城という城があり、丹波国人・塩見信房が城主でした。しかし塩見信房は赤井直正・波多野秀治などと共に光秀に敵対したため、丹波平定の際に討たれています。丹波を平定した後、光秀は横山城を「福知山城」と改名して近世城郭へと修築。城代に重臣の明智秀満を置きました。

しかしその3年後、光秀は本能寺の変を起こし、山崎の戦いで討たれてしまいます。

その後秀満も坂本城で自刃。福知山城には秀満の父親が留守居役として残っていましたが、捕らえられて処刑されました。

その後福知山城は豊臣家の武将である羽柴秀勝・杉原家次・小野木重勝が城主を務めますが、小野木重勝は関ケ原の戦いの際に細川忠興に攻められて自刃。関ケ原の戦い後は有馬豊氏が城主となり、この時に城郭や城下町も整備が完了したと言われてます。

その後も福知山城の城主は目まぐるしく入れ替わりますが、寛文9年(1669年)に朽木稙昌が城主となってからは朽木氏が幕末まで200年にわたり城主を務め、この地域を統治しました。

福知山城は明治4年の廃藩置県で廃城となり、明治6年に解体されます。しかし昭和61年に天主が復元され、福知山城公園として整備されました。天主は現在郷土資料館となっています。

 

そんなわけで光秀が福知山城を統治したのはわずか3年ほどではありますが、この間に城を修築して城下町を整備し、地子銭の免除や治水工事を行うなど善政を行った事が知られてますね。そのため今でも明智光秀は福知山で深く慕われているわけです。

 

福知山城アクセス

福知山城跡
〒620-0035 京都府福知山市字内記21-3

福知山城はJR福知山駅から徒歩15分ほど。駅から福知山城までの区間には当時城下町があったエリアも含まれるので、そうした名残を探しながら歩いてみるのもおすすめ。当時の門跡を示す看板も所々にあります。

車でアクセスする場合は舞鶴若狭自動車道「福知山IC」が最寄りのインター。ここから10分程で福知山城に到着します。距離的には5km程度ですね。

 

専用の駐車場あり

福知山城は公園として整備されているので、専用の駐車場が整備されています(無料)。

場所は福知山城天守の東側で、地図で見ると「ゆらのガーデン」がある場所ですね。

福知山城公園駐車場

結構な台数が駐められるので、基本的にはこちらを利用するとよいでしょう。

 

駐車場の隅にはトイレもありました。

福知山城公園駐車場

ちなみにゆらのガーデンには複数の飲食店があるので、福知山城へ行ったついでに寄るものありです。

 

なお、公園の駐車場が満車の場合は市役所の駐車場も使える模様。

福知山城駐車場案内

ただこちらは有料になるので、できれば福知山城公園の駐車場を使いたいところですね。

 

福知山城跡(福知山城公園)

というわけで福知山城へ行ってきました♪

 

福知山城公園の駐車場からは福知山城の復元天守がよく見えますねー。

駐車場から見る福知山城

福知山城はここから見るのと、後述する伯耆丸からの景観が一番良いですね。

さっそく車を止めて天主を目指します。

 

駐車場前の公園にはやたら反り返った「昇龍橋」が架かってました。

福知山公園の昇龍橋

すげぇ角度です(笑

ちなみにこの橋が架かっている川のあたりは元々堀があったらしいですね。

 

昇竜橋を超えたあたりに天主への入り口がありました。

福知山城天守への入口

復元ではありますが城っぽい雰囲気をしっかり醸し出してますね♪

 

ちなみに入口周辺には郷土資料館の看板も立てられてました。

福知山城の看板

福知山城天守は先ほど解説した通り、内部が郷土資料館になってます。

ここには甲冑や書状など光秀ゆかりの品が展示されているので、天守と併せて見ていくと良いですね。

開館時間は9:00~17:00で、火曜定休とのこと。ちなみにこの日は朝の7時台に城を見に来たため資料館は開いてませんでした(笑

 

というわけで坂道を登っていくと・・・

 

復元天守の目の前に出ます。

福知山城天守

三層四階の復元天守は目の前で見るとなかなか迫力がありますねー。

この復元天守は江戸時代の絵図や天守平面図をもとに復元されているとのこと。西側が正面という事なのでこちら見た状態が正面ってことになります。

 

今度は裏手に回って一枚。

福知山城天守

復元天守ではありますがいかにも復元!って感じがしないのが良いですね。

 

福知山城の転用石

福知山城と言えば石垣に「転用石(墓石や石仏)」がたくさん使われてることでもよく知られてますね。

福知山城の転用石

よく話も聞いていたし、写真でも見たことがありましたが・・・

思った以上に転用石が使われてますね!

実際に見て驚きました。

 

このあたりなんてかなり墓石が積み重なってますよね。

福知山城の転用石

現在天守の石垣には90ほどの転用石が存在するらしいです。

年号が刻まれていてもっとも古い石塔は延文4年(1359年)、最も新しいものは天正3年(1575年)だそうで、時代的にも光秀が福知山城を修築した際に積まれたもので間違いないのでしょう。

福知山城を造るにあたって時間的余裕も無く、石垣の石が足りなかったため近隣から石塔を集めた・・・という話もありますが、元々このあたりを治めていた勢力を否定する意味で旧地元勢力の墓石を敢えて使ったなんて話もありますね。確かに結構デカい墓石ですし、それなりの地位や権力を持った人の墓だったことは確かな気がします。

他にも転用石が使われてる理由として「城を守護するため」という意味合いがあるのでは?なんて説もありますね。確かに転用石が使われているのは天主の石垣に限定されているので、これもあながちあり得ない話じゃないかも・・・って感じですね。

 

銅門番所

天守台の隅には銅門番所(あかがねもんばんしょ)があります。

福知山城の銅門番所

銅門番所は名前の通り銅門の脇にあった番所で、福知山城の数少ない現存する建築物ですね。

ちなみに銅門は城郭の北側にあり、二の丸への登城口の門の一つ。現在の福知山市役所のあたりにありました(市役所横に「銅門跡」の看板が立っていました)。

銅門番所は大正時代の初めに天守台に移築されたそうですが、その後天守が再建されたためこの場所にあらためて移築されたそうです。

 

そういえば銅門番所の横にも大量の転用石が置いてありました。

福知山城の転用石

発掘調査とかで見つかったものみたいですね。

 

朝暉神社

福知山城の天守台には復元天守と銅門番所の他に朝暉神社(あさひじんじゃ)があります。

朝暉神社の鳥居

この神社は寛文9年(1669年)に初代福知山藩主となった朽木稙昌(くつきたねまさ)が父である稙綱(たねつな)を藩祖と仰ぎ、その尊霊を祀ったのが始まり。

11代藩主・綱條(つなえだ)の時に社殿を造って朝暉神社と号したそうです。

その後廃藩によって朝暉神社も城外に移築されますが、明治14年(1881年)に町民たちの要望で再び天守台に再建され、天守再建に伴って現在の場所に移築されたとのことでした。

 

そんなわけで朝暉神社には朽木氏の家紋「隅立て四つ目結紋」が確認できます。

朝暉神社社殿

200年に渡って福知山を統治した朽木氏もまた福知山繁栄の基礎を築いたと言えますね。

 

豊磐井(とよいわのい)

朝暉神社の目の前には「豊磐井」という井戸が残されています。

豊磐井

この井戸は朽木氏統治の時代に造られたと言われていて、初代藩主である稙昌の父・稙綱の神号「豊磐稙綱彦命」にちなんで名づけられたものだそうです。

この井戸、見た目にもデカいな・・・という感じなのですが、なんと深さが50mもあるとのこと。このあたりは海抜43mらしいので海面よりも下まで深さがあるって事になりますね。

よくもまあそこまで彫ったもんです・・・

ちなみにこの井戸、現在も水が湧いているって話でした。

 

明智藪(蛇ヶ端御藪)

復元天主周辺を一通り見た後、明智藪(蛇ヶ端御藪)を見に行きました。

由良川の明智藪

福知山城から明智藪は本当に目の前。5分とかかりません。

 

明智光秀が城下町を整備するにあたって造った大堤防といわれてますが・・・

実物見たら思った以上にデカくて驚きました(汗

こんなにデカかったのか・・・って感じですね。やはり写真でみるのと実物は全然違います。

 

明智藪は土師川と由良川の合流点に造られた大堤防。由良川の氾濫防止や海運業の発展のために造られたと言われてますね。昔は蛇ヶ端(じゃがはな)御藪と呼ばれてたそうですが、調査によって光秀が水害対策に造ったものと考えられるようになり明智藪と呼ばれるようになりました。

光秀が町作りに尽力した証とも言えるかもしれませんね。

 

伯耆丸跡

明智藪を見た後は伯耆丸跡へ。

伯耆丸は福知山城の三の丸で、有馬豊氏の重臣・有馬伯耆守の屋敷があったことから伯耆丸と呼ばれてるそうです。ちょうど市役所の裏手にあり、現在も伯耆丸公園と呼ばれてますね。

で、ここからは福知山城の復元天主がよく見えるんですよね。写真を撮るのにも適した場所なのです。

 

というわけで伯耆丸に登って写真を撮ってみたのですが・・・

 

見事に逆光になってイマイチな写真になりました(汗

伯耆丸跡から見る福知山城天守

うーん、朝は写真を撮るのには適してないっぽいですね・・・

おそらく午後に来た方が良い写真が撮れるんじゃ無いかと思います。次回来るときは午後にしよう(笑

とはいえ確かに天主の全景を見るには良いスポットでした。

 

ちなみに伯耆丸は既に使われていないっぽい建物やテニスコートがあるくらいで、遺構と思えるようなものは何もありませんでした。削平地になっていて曲輪だった事は分かるくらいですね。

 

【おまけ】明智光秀の自販機

福知山城天守には光秀が喋るラッピング自動販売機があります。

これ、2020年大河ドラマ「麒麟がくる」に向けて設置されたものですね。

福知山城喋る自動販売機

お金入れたり商品が出てくるときに光秀が色々喋ってくれます。

時は今、明智光秀ここに見参!とかね(笑

 

側面にもしっかり光秀と麒麟のイラストが貼られてました。

福知山城の喋る自動販売機

ちなみにこの自販機はここ以外にも御霊神社や明智藪にも設置されてます。

福知山城に訪れたときにはせっかくなので光秀ボイスを聞いておくと良いですね(笑

 

まとめ

というわけで福知山城を紹介しました!

本来侵略した側であり、わずか3年しか福知山に関わっていないはずの光秀がここまで慕われてるってのは正直驚きました。しかしそれだけ光秀の善政が人々の心に残ったということなんでしょうね。そして光秀自身も真剣に町の発展を考えていたのだろうと思います。

福知山城の近くには光秀が祀られている御霊神社もあるので、福知山城に来たら併せて訪れておくと良いですね。