こんにちは!ZIGです。
今回は岐阜県瑞浪市にある「土岐頼兼の墓」を訪れたので紹介します!
土岐頼貞は初代美濃守護となった方で、以後の土岐氏の繁栄の礎を築いた方ですね。
初代美濃守護・土岐賴貞について
土岐頼貞は鎌倉時代〜南北朝時代の武将で、文武に優れた人だったと言われています。
そんな頼貞は1333年、後醍醐天皇の令旨に応じて足利尊氏と共に挙兵し、鎌倉幕府打倒に功を挙げました。その功績からか頼貞は美濃守護に任じられ、以後200年以上に渡って美濃守護は土岐市が務めることになります。
その後足利尊氏が後醍醐天皇の政治(建武の新政)に不満を抱いて挙兵した際には尊氏につき、ここでも功をあげました。
こうして数々の武功を挙げた頼貞は尊氏からも大きな信任を受け、土岐氏は「諸家の頭、筆頭の将」と称されたと言われています。
その後頼貞は守護職を息子の頼遠に譲り、1339年に69歳で没しました。
そんな土岐頼貞の墓は土岐市の居館であった一日市場の近く、土岐氏の菩提寺だった旧光善寺跡に残されています。
土岐賴貞の墓アクセス
土岐頼貞の墓がある旧光善寺跡は一日市場館跡から土岐川を挟んだ対岸に位置しています。
最寄り駅は瑞浪駅で、約1kmほど。徒歩だと10~15分位かかる計算ですね。
駐車場は無し
土岐頼貞公の墓周辺には駐車場はありません。
なので瑞浪駅北駐車場に車を止めて歩いていくか、少しだけ停車させてもらって墓を確認するかになります。
ちなみに私は少しだけ停車する形で墓を確認してきました。正直は海外は何もないので、2〜3分程度なら問題はないのかな・・・と思います。
ただ、それが不安な方やじっくり墓を見たいという方は瑞浪駅の駐車場を利用した方が良いですね。
土岐賴貞の墓が残る旧光善寺跡
というわけで土岐頼貞公の墓がある旧光善寺跡へ行ってきました。
看板が出ているので近くまで来るとすぐ分かります。
前を通っている道はめちゃくちゃ狭いというわけではありませんが、それほど広い道でもありません。
3ナンバーの車で入ってくると停車するのはちょっと厳しいかも?という感じですね。
旧光善寺跡の看板の奥に複数の石塔が建っているのが分かります。
看板が無ければまず見落としてしまいそうな小さなスぺースですね。
宝筐印塔4基、五輪塔5基が確認できます。
解説看板も建てられていて、その看板の解説によれば頼貞の墓以外の宝筐印塔・五輪塔は頼貞より前の世代の土岐一族のものだと伝わっているそうです。ただ具体的に誰のものか、といった記載はありませんでした。
こちらが土岐頼貞公の墓ですね。
訪れてみて驚いたのですが、ここはめちゃくちゃ綺麗に整備されてます。
それだけ頼貞公は今でも慕われているという事でしょうね・・・
土岐頼貞以降、美濃守護は11代に渡って土岐氏が務めました。
そして11代目の土岐頼芸が「美濃のマムシ」こと斎藤道三に追放され、没落してしまったことはあまりに有名ですね。しかし11代200年に渡る土岐氏の礎を築いた頼貞公の功績は非常に大きかったんじゃないかと思います。
まとめ
というわけで土岐頼貞公の墓を紹介しました!
ここは土岐氏の居館・一日市場館跡と近いので、訪れるなら併せて訪れてみると良いんじゃないかと思います。
ちなみに一日市場館跡には土岐氏の祖とされる土岐光衝、土岐一族であり土岐氏の再興を願っていた明智光秀の像があるので、こちらも要チェックですよ♪