朝倉義景墓所 | 越前朝倉氏最後の当主の墓(福井県大野市)

朝倉義景墓所

こんにちは!ZIGです。

今回は福井県大野市にある「朝倉義景墓所(朝倉公園)」を紹介します。

朝倉義景は越前朝倉氏11代目の当主であり、朝倉氏最後の当主となった人ですね。

朝倉義景墓所について

朝倉義景墓所は越前大野城からも近く、朝倉義景が自刃したと言われている場所の近くに建てられています。

天正元年(1573年)、朝倉義景は近江に侵攻した織田軍に対抗するため出陣しますが、奇襲を受けて撤退することになります。しかしその撤退を読んでいた織田軍は徹底的に朝倉軍を追撃。多くの武将や兵が討ち取られ、朝倉軍はほぼ壊滅状態になりました。

命からがら本拠地である一乗谷に戻った義景ですが既に手勢も少なく、一乗谷で織田軍を迎え撃つこともできません。

そんな状況下で朝倉家一族の筆頭格でもあり、大野郡司だった朝倉景鏡は大野郡へ退くことを義景に進言。義景はその言葉に促されて大野郡の六坊賢松寺へ逃れるのでした。が・・・

 

実は景鏡、この時すでに織田方に通じてました。朝倉家を見限っていたんですね。

景鏡は義景のいる六坊賢松寺を手勢200で襲撃。そのため義景は自刃することとなり、越前朝倉氏は滅亡することになります。

 

朝倉義景の墓はそんな義景のために寛政12年(1800年)、旧家臣の子孫達によって曹源寺境内に建てられたもので、その後文政5年(1822年)に現在の場所に移築されたそうです。

ちなみに六坊賢松寺は既に廃寺となっていて場所は定かではありませんが、現在曹源寺がある辺りだったのではないか?という説があるとのこと。つまり朝倉義景が討たれた場所に旧家臣達が墓所を作ったという事ですね。

現在この墓所は「義景公園」として整備されていて、小さな庭園のようになっています。

 

朝倉義景墓所アクセス

朝倉義景公墓所
〒912-0086 福井県大野市泉町10

朝倉義景墓所は越前大野城の南、数百メートル程度の場所にあります。

なので越前大野城から歩いて10分ほどで行くこともできますし、車で直接公園まで行くことも可能。越前大野城の観光を考えているなら大野城を回ったあと、城下町を歩きながら訪れてみると良いのではないかと思います。

 

朝倉義景墓所の駐車場について

義景公園

朝倉義景墓所がある義景公園は駐車場が完備されています。

なので車で来ても安心。ただ周辺の道はけして広くはないので、その点は注意ですね。

あまり狭い道を走りたくないという方は大野城から歩いた方が無難です。

 

 

朝倉義景墓所(義景公園)

というわけで義景公園へ実際に行ってみました。

この時は越前大野城を回った後に訪れたため、大野城の駐車場に車を止め、歩いて義景公園へ。

 

途中にも朝倉義景墓所の案内看板があったり、周辺地図の看板があったりするので迷うことは無いと思います。

 

 

公園の入り口には義景公園の全体図がありました。

義景公園

・・・とは言っても小さな公園ですし、迷うようなことはありません。

 

義景清水

大野市は「水の町」としても知られていて地下水が豊富です。

義景公園内にも湧き水があり、「義景清水」という池がありました。

義景公園

確かに水が凄いキレイ。

この池にはイトヨが生息してるらしいです。イトヨは環境省の絶滅危惧種に指定されてる魚ですね。

 

 

墓所の裏手にも「義景清水」の看板がありました。

義景公園

こちらに関しては飲料水だそうで、飲めるみたいです。

 

四角い井戸のようなスペースから確かに水が湧き出してました。

義景公園

実際に少し飲んでみましたが、普通に冷たくて美味しい水でした。

 

水琴窟

義景公園

飲料水になってる義景清水の近くには「水琴窟」という看板が立ってました。

近くで耳を澄ますと涼しげな音が聞こえます。

 

まあそれだけのものですけど(笑

 

 

朝倉義景墓所

朝倉義景公墓所

朝倉義景墓所はちょうど義景公園の中心部にあります。

 

 

中央の五輪塔が朝倉義景の墓ですね。

朝倉義景公墓所

寛政12年(1800年)に作られたものなので、200年以上前のものになります。

この五輪の塔は江戸時代特有の形状をしてるそうですね。

 

 

義景の墓の周辺にはいくつか墓があります。

手前に見えている墓は近臣「鳥居影近」「高橋景業」の墓だそうです。

朝倉義景公墓所

鳥居影近と高橋景業は最後の最後まで義景の元で戦った家臣ですね。

 

 

その後ろの墓には義景の家族が合祀されています。

朝倉義景公墓所

義景の母・高徳院、夫人の小少将、次男・愛王丸が合祀されており、こちらも旧家臣の子孫によって明治44年(1911年)に建てられたそうです。

 

こちらは旧家臣瀧池家の墓。

朝倉義景公墓所

瀧池家が家臣の中でどのような位置づけだったのかは少し調べて見ましたが分かりませんでした。

この墓は文政9年(1826年)煮立てられたものだそうです。

 

 

石塔は明治34年(1901年)に建てられたものとのこと。

朝倉義景公墓所

荒廃していた墓所を有志が募金し、修理した際に作られたそうです。

 

 

六坊賢松寺があったと言われる場所に建つ「曹源寺」

曹源寺

義景公園から北東へ100~200m行った辺りに曹源寺があります。

朝倉義景が自刃した六坊賢松寺があったのではないか?といわれる場所ですね。

 

実際見てみると、曹源寺自体も結構歴史を感じる寺院でした。

曹源寺

元々はここに義景の墓があったわけですね。

最後は従弟にあたる一族の景鏡に討たれることになった朝倉義景。無念だったでしょうね・・・

 

まとめ

というわけで朝倉義景墓所(朝倉公園)を紹介しました。

義景公園はとても静かな庭園のような場所で、ある意味一乗谷の庭園を彷彿とさせる場所ですね。

 

ちなみにこの時実際に大野まで来て思いましたが、本当に織田軍は執拗な追撃を行ったんだなと驚きました。朝倉軍が撤退をはじめた近江からここまでは相当の距離があります。車で移動しても結構距離あるな・・・と感じましたし。

天正元年(1573年)の朝倉家・浅井家の討伐はちょうど武田信玄が没した直後で、織田家は武田家の侵攻を心配する必要が無くなった時期でした。やっぱり信長はこのタイミングで何としても朝倉・浅井と決着を付ける!という意気込みで戦いに望んでいたんでしょうね。