こんにちは!ZIGです。
今回は岐阜県瑞浪市にある鶴ヶ城を紹介します。
鶴ヶ城は土岐光衡が作った城と言われ、武田家との戦いにおいて織田信長も重視した城ですね。今回明智光秀ゆかりの地を巡る中で訪れてみました。
目次
鶴ヶ城について
鶴ヶ城は別名「神篦(こうの)城」「国府城」「高野城」と呼ばれ、土岐光衡によって鎌倉時代初期に作られたと言われています。
土岐光衡は源頼朝に仕えた人で、土岐一族の祖と言われる人ですね。光衡は美濃国を拠点としてこの地に一日市場館と鶴ヶ城を作り、美濃国統治の本拠としました。
その後も鶴ヶ城は長く土岐一族の居城でしたが、戦国時代になるとこの地域は武田家・織田家の戦いの場となります。
信長公記によると天正2年(1574年)1月27日、武田勝頼が東美濃に侵攻し、明知城(恵那市)を包囲しました。その報を受けた信長は2月1日尾張・美濃の軍勢を出動させます。2月5日には信長・信忠も美濃に出陣し、その日は御嵩(可児市)に在陣。翌日には高野に陣を張り、武田勢への攻勢に出る予定でした。
高野=鶴ヶ城ですね。
しかしそんな最中に明知城内で謀反が起き、援軍がたどり着く前に落城してしまいます。
そのため信長は鶴ヶ城の普請を命じて河尻秀隆を城番とし、小里(おり)の城を築いて池田恒興を城番として岐阜へと撤退するのでした。
このように信長自身も陣を張ったり、普請を命じているので東美濃の戦いにおいて重要な場所として考えられていたことが分かりますね。
鶴ヶ城へのアクセス
鶴ヶ城へは公共の交通機関を使う場合はバスへの乗り換えが必要になります。
JR中央本線・瑞浪駅から瑞浪市コミュニティバスに乗り、「鶴城」バス停で下車。バス停を降りたら中央高速道路の下をくぐって鶴ヶ城へ向かって下さい。おおよそ5分程度で到着します。
車の場合は中央高速道路・恵那ICから10分程度ですね。
鶴ヶ城の駐車場について
鶴ヶ城には駐車場がありません。
ただ、鶴ヶ城大手門跡に建つ諏訪神社の前に車を止められるスペースがあります。
せいぜい2~3台程度しか止められませんが(汗
ここを使わせて頂くのが鶴ヶ城へは最も近いんじゃないかと思います。
諏訪神社前に車を止めたら神社に向かって左手、方角的には南西に歩いてください。
ちょうど中央道に沿って歩いて行く形になりますね。
・・・で、少し登り坂を上がっていくとのぼりが見えてきます。
ここが鶴ヶ城の入り口ですね。
諏訪神社からは5分もかかりません。
鶴ヶ城跡
階段を登ると「鶴ヶ城跡」の看板があります。
石碑もありました。
「美濃源氏土岐氏古城」と刻まれてますね。
それでは早速登っていきましょう!
実は鶴ヶ城、本丸までの距離はそれほど長くありません。
10分程度でたどり着けます。ただ・・・
最初は結構急斜面です(汗
しっかり道は整備されていて階段になっているので足を取られるような事はありませんが、思った以上に急角度で疲れました。
二の木戸跡
少し登ると「二の木戸跡」という看板がありました。
ここは正直・・・何も遺構らしきものは見つけられませんでした(笑
木戸跡なので門のようなものがあったってことでしょうか。
西出丸跡
二の木戸跡を通り過ぎたあたりでしっかりとした土塁が目に入りました。
結構しっかり残ってるなー、と思ったら・・・
ちょうどここが西出丸跡でした。
展望抜群とのことなので行ってみます。
細長い曲輪を少し歩いてくと、前方が開けてきます。
こちらが西出丸からの景色。
結構標高あるのが分かりますね。
葵の井戸
西出丸を通り過ぎた後も土塁がしっかり残されてました。
そしてこの辺りで礎石っぽい岩を発見。
これ、明らかに礎石ですよね?
いつの頃のものなんでしょうか・・・
鎌倉時代に作られた城なので結構古い礎石だったりするかもしれませんね。
また少し登ると今度は井戸後がありました。「葵の井戸」と言うのだそうです。
この井戸は城が燃えて落城したとき、姫が身を投げたそうです。その後この井戸を探ると火災が起きるという言い伝えが残ってると手前の看板に書いてありました。
この「姫」がどんな人だったか?そしていつの頃の話かまでは書かれてませんでした。まあしかし、そういうことが実際にあったのでしょうね。
東出丸跡
葵の井戸を過ぎると、まもなく東出丸跡の看板がありました。
こちらも眺望抜群とのことなので見に行きます(笑
東出丸跡は西出丸跡より地面に凹凸が多い印象でした。
少し歩くと空が見えてきます。
こちらが東出丸からの景色。
さっきより若干遠くまで見えるかも?
ただこちらはちょっと木が邪魔ですね(笑
本丸跡
東出丸跡を過ぎると本丸はすぐそこ。
登っていくとのぼりが見えてきます。
本丸到着です。
解説看板を見ると、信長は天正10年の甲州征伐の際もここで陣を張ってるんですね。
本丸跡はそこそこ広いスペースがありました。
いくつか看板が立ってるのも見えますね。
本丸からの景色はなかなかのものです。
この日は微妙に曇ってたのですが、しっかり晴れてる日だともっと綺麗に見えるでしょうね。
本丸にある赤い鳥居。
こういう場所にあるにしては思いのほか綺麗で、しっかり手入れされている印象でした。
社の裏手は切堀になっています。
写真だと分かりにくいかもですが、結構な急角度になってますね。
これは確かに登ってこれなさそう。
そして本丸の奥には土岐神社がありました。
土岐神社はその名の通り、土岐一族の土岐頼兼が祭神として祀られているそうです。
土岐頼兼は正中の変で命を落とした方ですね。
こちらもそれなりに古いもののように見えますが、しっかり手入れはされているように見えました。
しっかり手を合わせ、麓へと戻りました。
諏訪神社(鶴ヶ城大手門跡)
諏訪神社まで戻ってきて、諏訪神社境内にも行ってみました。
ここにちょうど鶴ヶ城大手門があったと言われてますね。
ただ、それに関する記載や遺構は特に見つけられませんでした。
ちなみに諏訪神社の裏手もかなりの急斜面になっているように見えます。
ホントにここに大手門あったのか?
という気がしちゃいますが、当時とは多少地形も変わってるのかも知れませんね。
・・・よく見ると、社殿の左裏手のあたりに階段らしき箇所がありました。
もしかしてあれ、登っていけるんじゃないだろうか・・・?
そう思ったのですが、何の看板もありませんでしたし、かなり急に見えたので登るのは辞めておきました。滑り落ちたらシャレにならんし(汗
ただ、もしかしたら何か遺構が残ってるのかも知れません。
まとめ
というわけで鶴ヶ城についてまとめてみました!
とりあえず、鶴ヶ城は思った以上にしっかり整備されていて驚きました。山城って完全に草木生え放題ってところも多いですし(笑
瑞浪市は土岐氏発祥の地。訪れるなら麓の「一日市場八幡神社(一日市場館跡)」も併せて行っておくと良いですね。