こんにちは!ZIGです。
今回は岐阜県土岐市にある「妻木城」を訪れたので紹介します!
妻木城は土岐氏庶流である妻木氏の戦国時代~江戸時代にかけての居城。明智光秀の正室・煕子はこの妻木氏の出身と言われてますね。そんな光秀との繋がりを知ってこのたび訪れてみました♪
目次
妻木城について
妻木城は標高409mの城山山頂に築かれた山城で、山頂の城跡に加え山麓にも御殿跡・士屋敷跡が現在も残されています。
築城がいつだったのか定かではありませんが、1339年頃に土岐頼重が祖父である美濃守護・土岐頼貞の遺領を受け継いで妻木郷の領主となった後、作られたと言われてますね。
このように妻木郷は代々土岐明智氏が治めましたが、戦国時代になると土岐明智氏は没落。一族に当たる妻木氏の居城となりました。この時期、東美濃は武田氏・織田氏の抗争によって周辺領主(遠山氏・小里氏など)が没落していくのですが、そんな中でも妻木氏は妻木郷を領し続けることに成功しています。
13代目城主・妻木頼忠は関ケ原の戦いの際に東軍に付き、岩村城を攻略。その戦功で妻木氏は改めて土岐郡内7500石を与えられ、江戸時代を迎えます。しかし三代続いた後に後継ぎがなく、妻木氏本家は断絶してしまいました。この時妻木城も廃城となったようです。
ちなみに妻木氏は代々陶器の生産を奨励していて、織部焼や志野焼などに代表される美濃焼の基礎を作った領主としても知られてるんだそうです。
また、俗説ではありますが12代城主・妻木広忠は明智光秀の正室・煕子の父とも言われてますね。
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」では煕子役に木村文乃が決定しています。あるいは煕子に関連して妻木城も出番があるかも知れません。
妻木城へのアクセス
公共の交通機関を使う場合はJR中央本線・土岐士駅からバス(土岐=妻木線)に乗り、妻木上郷バス停下車。そこから南に歩くと数分程度で士屋敷跡が見えてきます。
車の場合は土岐インターから国道19号線を通って10分ほど。県道388号線沿いに御殿跡・士屋敷跡があるため近くまで行けばすぐ分かります。
妻木城士屋敷跡
というわけで妻木城に実際に行ってみました♪
まずは士屋敷跡ですね。士屋敷跡は県道388号線沿いに看板が出ています。
・・・というか県道からでも立派な石垣が目に入るので、イヤでも目が行ってしまうレベル。
想像以上に石垣がしっかり残っていて驚きました。
ちなみに道を挟んだ反対側に駐車スペースがあります。
ただ、このスペースは結構でこぼこしているので車高が低めの車は注意。岩や切り株でバンパーをこするかもしれません。
車を駐車スペースに止め、さっそく屋敷跡へ向かいます。
後で調べたらここは実際には御殿跡みたいですね。なぜか「士屋敷跡」という碑が建ってたのですが(汗)もしかしたら一部が士屋敷跡で大半は御殿跡ということなのかもしれません。
ちなみに士屋敷跡は道路を挟んだ反対側、駐車スペースの横にあったみたいです。
そっちは見逃してしまいました(汗
いやしかし、御殿跡の石垣は本当にしっかり残ってます。
いい感じに苔むしているところがまた良いですねー。
なんだか海外の遺跡を見ているような錯覚を覚えます。
ちなみに今残っている御殿跡・士屋敷跡は関ケ原の戦い以後大改修されたものとのこと。
おそらく戦国時代も終わり、山上の城へ行ったり来たりして過ごすのが不便だったのでしょう。元和年間(1615年-1624年)には山頂の城は廃棄され、その後は麓の居館を領地経営の拠点としたようです。
そのために改修されたわけですね。
それでも400年ほど前の石垣という事になります。
ここは枡形だったようです。
若干崩れてますが、確かにそんな形をしてますね。
石垣を侵食するように木が生えてる箇所が結構ありました。
いやー、こういうの大好きなんですよね♪
人工物が自然に侵食されていく姿て素敵だと思いませんか?(笑
なんというかカンボジアで見たガジュマルに侵食される寺院を彷彿とさせてくれます。
こちらもいい感じの侵食具合。
城がメインのつもりだったのですが、御殿跡の時点で既にテンション上がりまくりです(笑
ここは一部石垣が崩れてますね。
しかしそれが良い。それこそが良い(笑
ちなみに御殿跡と言われてるエリアは石垣で3段のエリアに分かれてます。
先ほどから見ているのは1段目ですね。
気が付けば1段目の石垣をひたすら眺めてました(笑
2段目に上がると「池跡」の看板がありました。
おそらくこのあたりから城主の屋敷があったんじゃないでしょうか。
井戸跡もありました。
こちらも復元ではなさそう。
元々使われてた石がそのまま残ってる感じですね。
1段目もかなりのスペースがありましたが、2段目もかなり広いですね。
奥の方には崩れた石垣が見えます。ああ、超近くで眺めたい・・・
御屋敷跡の看板もありました。
木が茂っているこのあたりに屋敷があったみたいです。
3段目に登ると、2段目との境の石垣が大きく崩れている箇所を見ることができます。
先ほど遠目に見えた箇所ですね!雨で土砂崩れみたいになった感じでしょうか。
こうやって崩れ、いずれは無くなってしまうのは残念ではありますが・・・自然に朽ち果てていく姿もまた良いもんです。
ある意味今しか見られない光景でもありますね。
3段目に登ればあとは山肌が見えるだけかな・・・と思ったら、ここもしっかり石垣が作られてました。
このあたりも本当にいい感じに苔むしてます。
3段目は1段目・2段目に比べると狭いようでした。
しかし最上段なので、領主の屋敷があったのではないでしょうか。
隅の方は山から流れてきた土砂で崩れてしまってました。
・・・と、よく見ると3段目の隅の方にさらに上に登っていけそうな通路発見。
ここは土砂が流れたというよりも明らかに通路に見えます。
気になったので登ってみると・・・
うお、何これ。めっちゃきれいに石が積まれてます。
後で調べてみたら、これは城主居館に雨水が流れ込まないために石塁で補強した側溝だったらしいです。
こんなにキレイに残ってるものなんですね・・・
歩いてみたら御殿跡を囲むように国道の近くまで側溝が続いてました。
妻木城跡登山口から山頂へ
一通り御殿跡の立派な石垣を堪能した後、本来の目的である山頂へ向かいます。
妻木城跡への登山口は御殿跡横の道から向かう形ですね。県道沿いに看板も出てました。
山頂までは徒歩で約25分。
登山道の入り口までは舗装された道が続きます。
このあたりは緩やかな上り坂ですね。
・・・と、先ほどは気づかなかった御殿の門跡が道沿いにありました。
こっちに入り口があったようです。
また、登山口への道を挟んで反対側にも御蔵跡がありました。
ここも綺麗に石垣が残っています。
2~3分ほど舗装された道を歩いていくと、登山口がありました。
ここからはもちろん舗装されてない登山道になります。
しかし妻木城跡への登山道は割と道幅が広く、登りにくくはありません。
若干斜面が急な場所はありますが、比較的登り易い方じゃないかな?という印象でした。
10分ほど歩くと中間点の看板があります。
残り半分ですね。
・・・と、中間点を過ぎたあたりから急に大きな岩が目に入るようになりました。
やたらデカい岩がゴロゴロしてるのですが、なんとなく人工的な形をしてるっぽい岩もチラホラ。
もしかしてこういう岩も石垣に使われてたのか?と思いましたが・・・
実はこれは自然のものらしいですね。後で解説がありました。
しかしこんなに岩がゴロゴロしてる場所も珍しい気がします。
私がそういう山城に行ったことがないだけかもしれませんが(笑
木の根っこよりも岩に気を付けて登っていくような感じです。
そんな岩だらけのエリアを抜けると間もなく山頂、妻木城跡が見えてきます。
妻木城跡
山麓の看板に書かれていたより気持ち早く、おおよそ20分ほど妻木城跡に到着です。
順路を示す看板が見えてきました。
まずは三の曲輪へ向かいます。
三の曲輪
三の曲輪は城の北側に位置してるようです。
結構な広さがありますね。
この感じだと建物もあったんじゃないでしょうか。
ここからはかなり遠くまで見通せます。
この方向はちょうど山麓の御殿跡・士屋敷跡がある方向になります。
おそらく妻木城下に集落もあったでしょうから、ここから見えたことでしょう。
虎口・門跡
次は三の曲輪から本丸へ向かいます。少し急ですが、本丸へ繋がる階段がありました。
登りきったところに虎口・門跡の看板がありました。
後で調べて分かったのですが、ここは枡形虎口になってたらしいです。
門跡のあたりに妻木城の解説看板がありました。
・・・が完全にかすれてしまってますね(汗
縄張り図も書いてあったみたいですが、完全に消えてしまってました。
ちなみに妻木城の縄張りについては「妻木城址の会オフィシャルサイト」に掲載されていたものが参考になりました。後で見つけたのですが登る前に見ておけばよかったと後悔です(笑
二の曲輪(二の丸)
虎口・門跡を通って二の曲輪へ。
ここも結構な広さがあり、人工的なものじゃないかなーって印象の岩が転がってたりしました。
そして鳥居が立ってますね。
妻木城の本丸には廃城後の江戸時代中期、八幡神社が建立されています。
なのでこの鳥居もその時に建てられたものなのでしょうね。
一の曲輪(本丸)
二の丸の奥に見える石垣が一の曲輪、本丸ですね。
ここもまたしっかりと石垣が残っています。
麓の御殿跡の石垣よりも若干高さは低い印象でした。
これは作られた時代の違いもあるのかもしれません。
ここも枡形っぽいですね。
元々あった岩も石垣の一部として利用されてるのが分かります。
こちらが一の曲輪(本丸)です。
二の曲輪よりも一回り大きい印象ですね。
隅の方には八幡神社の社があります。
周辺には明らかに人工的な形の石が転がってますね。
これは廃城前のものなんでしょうか・・・
八幡神社の近くには「物見杉」と書かれた看板がありました。
この杉は根回りが3.4mあった巨木とのことで、文字通り物見のための樹だったのかもしれません。
物見杉は明治3年(1870年)に大風で幹が割け、その後立ち枯れてしまったそうです。
戦後は下駄を作るために切り取られたそうで、切り取られた跡が幹に残っていました。
確かにだいぶ幹が削り取られてるっぽいですね。現在残ってるのはごく一部って感じでした。
物見杉の横には「旗立岩」というデカい岩もありました。
これもまあ、言葉通りの役割だったんでしょうね。
人工的に削ったようにも見えますが、これも自然な状態の形なのかもしれません。
こういう巨岩がところどころにあるためか妻木城は他の山城ともまた違った印象を受けます。
帯曲輪
次は帯曲輪へ。
本丸から帯曲輪へ降りる通路がありました。
本丸の西から南にかけてぐるっと回りこむような形になってますね。
ここにもデカい岩がありました。
上に生えてる木がまたいい雰囲気を醸し出してますね♪
花崗岩の巨石群
帯曲輪から南曲輪の方へ降りていくと、他の場所以上に巨大な岩があります。
まるで人工的に組み上げられたように見えますね。
しかしこれは自然現象で「節理」って言うらしいです。
マグマが冷えて花崗岩になる際に収縮して等間隔に割れ目ができ、地表に現れた後に風化浸食で四角形の塊に分かれ、このような形になるって仕組みとのこと。
何も知らずに見たら絶対に人工物だと思いそうです(笑
南曲輪
次は南曲輪へ。
名前の通り本丸の南側にある曲輪です。
そこそこ広いスペースがありますが、ここは巨岩はないみたいですね。
本城池
南曲輪から太鼓櫓の方へ歩いて行くと、「本城池」という看板がありました。
駐車場とも書いてますね。
少し下っていくと・・・
かなり広い駐車場がありました。
妻木城は南側のゴルフ場の方からもアクセス出来るようなので、そちらから来るとここに出るのかも知れません。
こちらは登山の必要が無くて楽そうですね(笑
ちなみに近くには大きな池があるようですが、そこまでは見に行きませんでした。
堀切
太鼓櫓の下には大きな堀切があります。
岩がゴロゴロと転がってるのが印象的ですね。堀を作った事で地中から岩が出てきてしまったらしいです。
ちなみに個々にある岩の一つには砕こうとして打ち込んだくさびの跡が綺麗に残っています。これは太鼓櫓から確認出来るので後ほど紹介しますね。
土塁
こちらは土塁。
ハッキリと遺構が確認できます。
井戸跡
井戸跡もありました。
妻木城には井戸が2つあったそうです。これはそのうちの一つで、土塁の内側にあります。
太鼓櫓
次は太鼓櫓へ。
太鼓櫓は先ほど見た大きな堀切に面した場所にあります。
なので太鼓櫓の端から下を見下ろすと堀切が見えるのですが・・・
ここから巨岩に残ったくさびの跡がしっかり確認出来ます。
こういう岩の扱いにはかなり苦労したでしょうね(汗
結局諦めて岩はそのままになったようです。
しかしこれはこれで攻めにくいんじゃないか?という気もしました。
蔵跡
太鼓櫓の近くに蔵跡もあります。
登ってみると少し平らなスペースがありました。
向かって左側の平らなスペースが蔵で、右側は本丸へ繋がる通路のように見えます。
蔵跡を登っていくとすぐ帯曲輪・一の曲輪に出ました。
これで主要な曲輪は一通り見て回った感じですね!
最後に本丸周辺の写真を撮り、山麓へ戻りました。
まとめ
というわけで妻木城を紹介しました。
妻木城は山頂の遺構も見ごたえがありますが、山麓御殿跡の石垣の雰囲気が最高です!明智光秀ゆかりの地として興味を持つまで全く知らなかったのですが、ここは個人的にかなりお気に入りの城になりました(笑
興味を持たれた方はぜひ一度自分の目で見にいくことをおすすめします♪