パロネラパークに到着したのは16時前。しかしなんと気温は36度オーバー!
しかもパロネラパークは熱帯雨林の中にあるため、蒸し暑さも半端じゃありません。誇張ではなく汗が滝のように流れます。あつい(泣
しかし、パロネラパークは今回の旅行の中でもかなり印象に残った場所でした。先に結論を言っておくと、遺跡好き・廃墟好きの方は絶対行った方が良いです。
あとは「天空の城ラピュタ」のモチーフになってるなんて噂もあるので、ラピュタが好きな方も一見の価値ありかな?
目次
パロネラパークの歴史
パロネラパークはスペインからの移民、ホゼ・パロネラという方が作った城。この方は小さい頃から「自分の城を持ちたい」と思ってたそうで、その夢をここで叶えたのだそうです。
「パロネラパーク」って名前はそのままホゼの名前ということですね。
パロネラパークが完成したのは1935年の事。当時は多くの人の憩いの場となってたそうですが、度重なる自然災害(洪水・台風etc)の影響もあり、ホゼが亡くなった後、一度完全に廃墟に。いつしかその存在も人々に忘れられてしまいました。
そんなパロネラパークが再び人の目に触れるようになったのは1993年。現在のオーナーが旅行で偶然パロネラパークを発見したのがきっかけ。
その後パロネラパークはその名を知られるようになり、クイーンズランド州の観光賞を受賞。重要文化財にもなり、クイーンズランド州の観光地で「絶対行くべき観光地No.1」になりました(byパロネラパークのチラシ笑)。
詳細は後でまとめるので、とりあえずここではざっくり解説。
それでは早速中に入ってみましょうー。
駐車場の隅にパークへの入り口になっている建物があり、ここからパロネラパーク内へ。
この建物の中にはカフェと売店があり、土産物や飲み物を売ってました。
とりあえず何より先に水を買う(笑)
パロネラパークMAP
これはパロネラパークで貰ったパンフレット。
パロネラパークのMAPが掲載されてました。どんな建物がどんな位置関係で存在してるかがおおよそ分かります。
コテージ博物館
パロネラパーク内で最初に目に入るのはコテージ博物館。
ここはホゼが住んでた建物で、現在は博物館になっています。
昔の写真や映写機が置いてあり、当時の生活を垣間見ることが出来ました。
ザ・キャッスル
その名の通り小さめの城といった感じの建物。ホゼが欲しがってた「自分の城」ですね。
ここは当時、一般の方にも開放されてたそうです。
中にはボールルームがあり、映画も見る事が出来ました。先ほどのコテージ博物館にあった映写機を使い、白黒のチャップリン映画が流されていたりしたそうです。
ちなみにホゼはこの城の最上階から遊びに来た人たちを眺めるのが好きだったのだとか。
ちょうどこの城はピクニックエリアなどを見下ろせる場所にあるので、多分パークを訪れた人たちが楽しんでる姿が良く見えたでしょうね。
願掛けの泉
コテージ博物館とザ・キャッスルの間には願いがかなうという願掛けの泉があります。
この泉は見ての通り2段になってます。
ここで泉に背中を向け、願い事を思い浮かべながらお金を投げ、上の段の小さな泉に入ると願いが叶うらしい。
ちなみにガイドさん曰く
「1段目でも叶わないわけじゃありません。足りない分は努力で補いましょう!」
だそうです(笑
ピクニックエリアとミーナの滝
ピクニックエリアは人々の憩いの場所。
奥にはホゼが一目惚れしたという「ミーナの滝」が見えます。
このあたりは水の流れも緩やかになっていて、当時は泳ぐ人がたくさんいたそうです。これだけ暑い場所だし、プールは人気だったでしょうね。
ただし、現在は泳げないとのこと。
理由は現在このあたりにワニが生息してるため。
確かにそれじゃー泳げないね(汗
覗きこんでみると魚が沢山いました。
やけに真っ黒な魚がいっぱい。
何の魚かはわかりませんでした。
ベンチも当時のまま残されています。
きっと多くの人でにぎわっていたんでしょう。
ホゼはミーナの滝を見て、ここに自分の城を作ろうと決めたそうです。
?
ちなみに滝の右側に見えるのは水力発電設備。
なんとこの設備、ホゼが自分で作ったもの。クイーンズランド州で初の水力発電所がまさしくこれだそうです。
そして、パロネラパークは今でもミーナの滝の水力で電気を賄っているとのこと。
すごいぞホゼさん。
水力発電施設の上から見るミーナの滝。
ミーナの滝は3本の流れがあるのが特徴。
ホゼはこの滝が本当に大好きだったらしく、パロネラパークの至る所からこの滝が見えるように設計をしています。これは他の建造物を見て実感できました。
大階段
ザ・キャッスルとピクニックエリアを結ぶ大階段。
47段あり、けっこう急です。
この階段の途中には、過去の大洪水の際「ここまで水に浸かったんだよ!」という目印が残ってます。
年数を見ると1967年と1996年。
時々パロネラパークは大洪水に見舞われるそうです。
そしてそれよりも上の段に、もうひとつ浸水の目印。
こっちはちょっと数字が読みにくいのですが、1946年。
ホゼが亡くなったのが1948年とのことなので、ホゼ存命中の頃の話ということですね。
この目印がある場所から先ほどのピクニックエリアを見下ろすと、かなり高さがあることが分かります。
いや、これシャレにならないレベルで大洪水ですよ・・・(汗
パロネラパークと言えばここ!名前はなんと「軽食堂」
はい。
パロネラパークというと有名なのがこの建物。写真やパンフレットでもここが映ってることが多いですね。
ここは当時カフェだったそうで、2階のテラスで多くの人たちが談笑したみたい。
しかし名前が「軽食堂」って・・・(汗
多分最近になって付けられた名前なんでしょうけど、もうちょっとかっこいい名前にしないのかな?
目の前には噴水がありました。
軽食堂の横には小さめのテラス。
ここは確か、楽器の演奏などに使われたって聞いた気がします。
いい感じに朽ちた建物。
最初にちょっと触れましたが、パロネラパークは「ラピュタ」のモチーフになってるのでは?なんて話もあります。
公式に名言はされてませんが、なんとなく似てるイメージがあるからですかね?フツーにガイドさんもその話をしてました。
そうそう、ラピュタ繋がりなんですが、この建物の左右には「更衣室」があります。
ピクニックエリアで泳ぐ人のために作ったもので、左右両方にあるのは男女で分けたため。
この更衣室がラピュタに登場する「ロボット兵」の格納庫に似てる!と言われてるそうです。
言われてみれば・・・って感じですね。
なんか出てきそう(笑
ちなみにこの更衣室、オージーには狭すぎる上に扉を閉めてしまうと真っ暗になってしまうため、実際に更衣室として使われることは無かったそうです(笑
結局ロッカーとして使われたとのこと。
割と適当ですホゼさん(笑
こちらは裏側から見た軽食堂。
いい感じに苔むしてます。
軽食堂の一階は大きく空間が確保されており、中には噴水ですかね?おそらく当時のまま残されてました。
ちなみになぜこんな空間が空いてるのか?
というと・・・
実はこの空間からミーナの滝の方を見ると、ちゃんと滝が見えるようになっているのです。
ホゼが滝を愛してたのがよく分かる作りですね。
軽食堂の正面には広場はがあります。
ここは昔、テニスコートとして使われてました。
当時使われていた整備用のローラーも残されてます。
口コミではパロネラパークのナイトツアーがおすすめらしい
パロネラパークはナイトツアーも行われていて、これが結構好評らしいです。
実は同じツアーで来てた方がナイトツアーに参加したそうで、ちょっと話を聞くことが出来ました。
ライトアップされた軽食堂がかなりいい感じ!とのこと。
ちなみに夜はBGMも流れていたそうですが、なんとラピュタで使われてたBGMだったそうです。
なんて日本人をターゲットにしたツアーなんだ・・・(笑
カウリアベニュー
カウリの木に挟まれた並木道。
ここにあるカウリの木はまだ若く、樹齢80年くらいとのこと。年代的にホゼが植えたってことですかね?
この木は4~500年は成長するらしいです。
このデカさでまだまだ小さいって、いったいどれだけデカくなるんでしょう・・・
この場所はなぜかすごく気に入ってしまい、何回も写真を取りました。
人が結構歩くんで、人がいないタイミングで良い写真を撮るのが難しい(笑
一番いい感じに取れたのがこちら。
ちなみにこのカウリアベニューの先にも、ミーナの滝が見えるように設計されてました。
ホゼ、ホントにミーナの滝が大好きだったんですね。
テレサの滝
パロネラパークの隅にひっそりと存在するテレサの滝。
この滝はホゼが娘のテレサにプレゼントしたもの。
8歳の誕生日にミーナの滝に似せて作った滝をプレゼントしたそうです。つまりこの滝はハンドメイド(驚
何でも作る男ホゼ、かっこよすぎ。
近くで見ると確かに3本の流れがミーナの滝そっくりです。
ホゼの娘への大きな愛を感じちゃいますね。
愛のトンネル
愛のトンネルは通路を水族館にしようとして作ったらしいです。
しかし、トンネル内の水漏れが酷過ぎて結局断念。現在はトンネルも封鎖されています。
しかしホゼ、かなり真剣に水族館を作ろうとしてたっぽいです。
しっかり券売所(受付)まで作っちゃってました。
この券売所の壁、模様が付いてますよね?
実はこれ、ホゼの手の跡。ホゼは手でコンクリを塗って受付を作ったのです。
なんというかウキウキで券売所を作ってる姿が目に浮かぶような・・・
そして、その後の落胆っぷりも目に浮かぶ気がします(笑
トンネルは完全に封鎖されて立ち入り禁止。
そういえば、パロネラパークの建造物は全て鉄筋コンクリート製なんですよね。石ではありません。
そのため度重なる自然災害の中でも割と形を留めていられるんでしょう。
愛のトンネルの建物の天井を見ると、鉄骨が見える場所がありました。
実はこの鉄骨、電車のレールを再利用しているんだそうです。
こんな場所なので鉄骨も満足に調達は出来なかったという事でしょう。使えるものを何でも使って作ったという感じ。
しかし、レールは不純物も多いらしく、周辺のコンクリートを腐食させてしまうんだとか。だから場所によって鉄骨がむき出しになってるそうです。
竹林エリア
パロネラパークの奥には竹林エリアがあります。
竹ってこんな熱帯雨林の中でも生えるんですね・・・
とりあえず竹林へ入っていく階段がもうなんていうかすごくいい感じ。まるでゲームの世界に入り込んだような気分になります。
川も流れていて、このあたりにはカメが結構いるそうです。
つり橋からの景色
ミーナの滝の上にはつり橋がかかっていて、渡ることができます。
ただ、パロネラパーク内からは直接吊り橋に行けないので、一旦駐車場まで戻り、吊り橋の入口へ。
完全な逆光になってしまいましたが吊り橋。
渡ると結構揺れます。
吊り橋の上からはピクニックエリアが一望できました。
ザ・キャッスルも見えます。
かなり高低差があるのが分かりますね。
・・・とまあ1時間ほどパーク内を見て回りました。
とにかく暑かったけど、これを完全にゼロの状態から作り上げたホゼって男は本当にすごい・・・というのが素直な感想。
ホゼが全てをささげて夢を叶えた場所、パロネラパークはオーストラリアに来るならぜひ行くことをおすすめします。
夢を現実にするために人生のすべてを捧げたホゼ・パロネラ
パロネラパークもステキな場所でしたが、パークを作ったホゼも非常に印象に残ったので、彼の人生も紹介しておこうと思います。
ホゼは最初に触れたとおり、スペインからの移民です。
元々スペインの田舎町に生まれ、生活は結構厳しかった模様。学校も退学し、若い頃から生活のために仕事をしてたそうです。
そんなホゼが自分の城を持ちたいと思ったきっかけは、幼い頃に聞いたおとぎ話。スペインの城や貴族にまつわる話が好きで、いつか自分も城を持ちたいと思った少年時代のホゼ。
そんな夢と現実のギャップはかなり大きかったんじゃないでしょうか。
26歳でオーストラリアへ渡ることを決意
そんなホゼの人生の転機となったのが、オーストラリアでの労働者募集の広告でした。
ホゼは自分の可能性に掛け、26歳でオーストラリアでやってきます。
オーストラリアに渡ったホゼはサトウキビを刈る仕事を始めました。
しかし、暑さや雨・洪水など過酷な環境での仕事はかなり厳しかったようです。一緒にやってきた労働者たちもその環境を嘆いたと言われてます。
そんな中でもホゼは希望を見失わず仕事を続け、やがてオーナーとなって土地を購入・開発していきました。
その時点ですでにオーストラリアへやってきて16年が過ぎており、ホゼは42歳に。
ホゼ42歳、ミーナの滝と出会う
ホゼがミーナの滝を見つけたのはその頃でした。
「ここは世界で一番美しい場所だ!」
そう思ったホゼは、ここに自分の夢だった城を作ることを決心します。
ホゼは土地を購入した後、城や庭園のデザインのために一旦スペインに戻り、マルガリータと結婚。
新婚旅行では様々な歴史的建築物を見て回り、城建設のヒントを得たようです。
そこから6年。
ホゼは建設に熱中し、1935年にパロネラパークを完成させたのでした。
子どものころの夢を見失わず、48歳にして遂に自分の城を手に入れたわけです。
そこに至るまでの過程は決して平坦じゃなかったはず。言葉も文化も違う異国の地で、全くのゼロからこれだけのものを作り上げる・・・
それはとんでもない労力だったでしょう。
しかし諦めず進み続けたホゼ。夢を見失わなかったこその行動力ですね。
その人生からは学ぶところが多いと感じました。
ホゼの死と、忘れ去られたパロネラパーク
ホゼは60歳で亡くなったのですが、その後もパークは家族によって運営が続けられます。
しかし、度重なる自然災害や時代の移り変わりで訪れる人も減り、1977年に売却。その後も自然災害や火災に見舞われ、いつしかパークは人々から忘れられ、廃墟となってしまうのでした・・・
パークの復活
パロネラパークが現在のオーナー夫妻に発見されたのは1993年。
偶然発見した、熱帯雨林の中にひっそりと佇む古城。パロネラパークは彼らを魅了します。
ここは一体どんな場所なのか?彼らは情報を集めました。
そこで、1人のスペイン人の存在が明らかになります。ここで夢を形にしたホゼという男の存在を。
そして、彼らはパロネラパークを復活させることを決めるのでした。
実はホゼの存在が明らかになったきっかけは、昔ここでホゼと暮らした娘のテレサだったそうです。
この夫妻になら父ホゼの夢や想いを託せる・・・
そう感じたテレサが現オーナーにホゼの人生を伝え、それが現在に語り継がれているのでした。
時を経て再び人々でにぎわっているパロネラパーク。
ホゼもきっと喜んでいるんじゃないでしょうか・・・