何故か長野にある明智光秀公縁の祠に行ってみたよ(長野県茅野市)

明智光秀公縁の祠

こんにちは!ZIGです。

今回は長野県茅野市にある「明智光秀公縁の祠」を紹介します!

あまり光秀と縁のなさそうな場所なのですが、ふとしたきっかけで存在を知ったので実際に行ってみました。

明智光秀公縁の祠について

私が長野県茅野市にある「明智光秀公縁の祠」の存在を知ったのは法華寺のことを調べていた時でした。

法華寺は甲州征伐の際に信長が陣を置いた場所として知られてますし、その際に信長が光秀を折檻したって話がありますよね。

大河ドラマでも定番のシーンですが、実はこの「法華寺で信長が光秀を折檻した」という話はそもそも出典がはっきりしません。後世の創作の可能性が高い話ですが、それにしてもどこに書かれてた話なのか?見つけることができませんでした(汗

この話の真偽はさておき、信長・光秀が法華寺に来たのは本能寺の変の2カ月ほど前。つまり謀反の直前なんですよね。そう考えると光秀とも縁がある場所と言えるかな・・・と思いまして。

一度実際に行っておきたいと思って調べてたところ、光秀公縁の祠の話を見つけました。

 

この祠の話は高部歴史編纂委員会編「高部の文化財 続」という書籍に記載があるそうです。石祠に明智の紋があったり、縁のある方がお参りする・・・なんて話が書かれてるとのこと(実物見てないので正確性に欠ける話ですが汗)。

明智の紋がある=光秀ともならないような気もしますが、光秀公の祠と言われているんだそうです。

 

明智光秀公縁の祠アクセス

明智光秀公縁の祠
〒391-0013 長野県茅野市宮川高部

とりあえずGoogleマップに祠が表示されて驚きました(笑

明智光秀公縁の祠は諏訪大社の上社本宮と上社前宮のちょうど中間あたりにあります。専用の駐車場はもちろんないので、どこかに車を止めて歩いていく形になりますね。

おすすめの手段としては2つ。神長官守矢史料館を利用する手段と、諏訪大社上社前宮からアクセスする手段です。

 

神長官守矢史料館からアクセスする方法

神長官守矢史料館は明智光秀公縁の祠のすぐ近くにある資料館。

ここには駐車場もあり、大人でも100円で入館できます。なので資料館を見たついでに祠に行くというわけですね。

神長官守矢史料館

ちなみに神長官守矢史料館には武田信玄や真田昌幸の書状なども展示されているので、歴史好きならこうした展示物も見逃せません。

 

諏訪大社上社前宮からアクセスする方法

諏訪大社上社前宮に参拝し、その後祠を見に行くのも手段です。

諏訪大社上社前宮には大きな駐車場もありますし、上社前宮から明智光秀公縁の祠付近までは鎌倉街道が残っていて、歩いていくことが出来ます。諏訪大社に参拝する予定があればこちらの方が良いかもですね。

ただ、こちらの手段はちょっと距離を歩くのでその点はご注意ください。

 

諏訪大社上社前宮から明智光秀公縁の祠へ

というわけで実際に明智光秀公縁の祠に行ってきました。

ちなみに私は諏訪大社上社前宮の駐車場に車を止め、参拝後に県道16号線を歩いて祠へ向かいました。あとで鎌倉街道歩いた方が良かったじゃん・・・と気が付いたのは秘密です(汗

 

10分ほど歩くと神長官守矢史料館にたどり着きます。

神長官守矢史料館

この日は結構暑かったので歩いてきたのをちょっと後悔(笑

神長官守矢史料館を利用すればよかった・・・

 

 

ま、それはいいとして。

神長官守矢史料館の西側に細い道があるので、ここを南へ向かいます。

茅野市宮川高部

車一台分くらいの狭い道ですね。

 

少し上り坂になっていて、神長官守矢史料館を通り過ぎたあたりから開けた場所に出ます。

茅野市宮川高部

・・・はい、気づきましたか?

なにやら変わったものが映ってますよね(笑

 

 

近くで見るとこんな感じ。

空飛ぶ泥船

実はコレ、茶室なのです。

地元の著名な建築家・藤森照信氏が作ったもので、「空飛ぶ泥船」と言うそうです。

ちなみに奥に見えるのも茶室で、こちらは「高過庵」。どちらもなかなか目を引きますね(笑

 

見落としそうなくらい静かに佇む明智光秀公縁の祠

実はこの「空飛ぶ泥船」の近くに祠があります。

「空飛ぶ泥船」へ向かって歩いて行くと左手の土手に見える小さな祠。これが明智光秀公縁の祠でした。

明智光秀公縁の祠

何の看板も立っていないので、最初見落として素通りしました(汗

 

 

祠はそれほど大きなものではありません。高さ40~50cmくらいでしょうか。

明智光秀公縁の祠

だいぶ苔むしてますね。

 

正面に周ってみると、切妻のところに確かに紋がありました。

明智光秀公縁の祠

これが明智の紋(桔梗紋)とのことですが、ちょっと遠目には判別が付きません。

 

 

拡大してみました。

明智光秀公縁の祠

 

・・・

 

うーん、どうなんでしょう。

桔梗紋と言われればそう見えない事もありませんが、これは間違いなく桔梗紋だ!とも言い切れないような感じです(汗

しかしこれが本当に桔梗紋だとしたら、どういう経緯でここに建てられたのかが気になりますね。

 

甲州征伐の際、諏訪大社は織田軍によって焼き払われています。そのわずか2か月ほど後、明智光秀は本能寺で信長を討ちました。そんな明智光秀を当時のこの地域の人々はどう思ったか?

あるいはそんな光秀をここに祀った・・・なんてこともあったのかもしれません。

といってもこれは想像の域を出ない話ですね(笑

 

まとめ

というわけで明智光秀公縁の祠を紹介しました!

なぜ長野に明智光秀縁の祠があるのか?不思議ではありますが、ここは諏訪大社上社や法華寺も近いので、こうした場所と併せて訪れてみるのも良いんじゃないかと思います。

とりあえずうっかり見落としそうな場所にあるのでその点は注意ですね!

法華寺本堂