明智光秀首塚 | 三条白川筋に建つ光秀公の塚(京都市東山区)

明智光秀首塚

こんにちは!ZIGです。

今回は京都市東山区にある明智光秀の首塚を訪れたので紹介します。

光秀の首塚はいくつか存在しているのですが、本物の可能性が高いのはここだと言われてますね。

明智光秀首塚について

京都には光秀の首塚が3箇所に存在します。以下の3つですね。

  • 宮津市の盛林寺
  • 亀岡市の谷性寺
  • 京都市東山区の首塚

ただ、盛林寺や谷性寺にある首塚は供養塔で、実際に首が埋葬されているわけではないと考えられています。

実際に首が埋められたと考えられているのは今回訪れた京都市東山区の首塚ですね。ここは光秀の遺体が磔にされた粟田口からも近く、実際に首が周辺に埋められたという記録も残っています。

 

例えば吉田兼見が書いた「兼見卿記」には天正10年6月23日に「粟田口の東に光秀と斎藤利三の首塚を築いた」という内容が記されていますし、山科言経の「言経卿記」にも「粟田口にて●日(日付は空白)に光秀と利三の骸が磔にされ、他に首三千余が晒された。同所に首塚が築かれた」という記載があります(天正10年7月2日付)。

また、江戸時代の京都について記した地誌「雍州府志」「都名所図会」にもこの塚の事が記されていて、塚は蹴上付近にあったみたいですね。

 

その後の明和8年(1771年)春頃、明智光秀の子孫とされる能楽師・明田理右エ門が首塚があった屋敷を譲り受けたという話が江戸時代の歴史家・神沢貞幹の著書「翁草(おきなぐさ)」に書かれてます。

現在の場所に塚が移されたのはその後まもなくの事だったみたいですね。

 

こういった記録からも光秀の首が埋葬されているとしたらここだと言われています。

そのような経緯で明智光秀の首塚は今も三条白川筋の細い路地にひっそりと残されているのです。

 

首塚へのアクセス

明智光秀首塚
〒605-0061 京都府京都市東山区梅宮町474-23

明智光秀首塚は地下鉄東西線「東山駅」から徒歩数分程度の場所にあります。

なので基本的には電車でアクセスするのがおすすめですね。

近隣には知恩院や平安神宮があるので、併せて訪れてみるのも良いんじゃないかと思います。

 

駐車場はなし!電車でのアクセスがおすすめ

首塚は狭い路地にあるので、専用の駐車場はありません。

ただ、近隣にコインパーキングはありました。なのでどうしても車で・・・という場合はコインパーキングを利用する手段もあります。

とはいえ周辺の道も広くはないですし、どちらかと言えば公共の交通機関を使った方がスムーズですね。

 

 

東山駅から明智光秀首塚へ

というわけで明智光秀公の首塚、実際に訪れてみました。

 

この時は地下鉄東西線を利用してアクセス。東山駅の1番出口が最寄りの出口になります。

東山駅1番出口

 

 

1番出口を出ると、左手に小さな川(白川)があります。

東山駅

柳の木が目印ですね。

 

この川沿いを歩いて行きます。

三条白川筋

なんとも風情があって良いですねー。

欄干がないので車で通るのはちょっと不安な感じしますが(汗

 

 

川沿いを歩いて行くと「明智光秀の塚」の案内も出ています。

明智光秀首塚

案内にも「徒歩1分」と書かれてるとおり、首塚までそれほど距離はありません。

 

 

少し歩くと「餅寅」という和菓子屋さんがあり、その手前に案内看板がありました。

明智光秀首塚

ちなみにこの「餅寅」さんが首塚を代々守ってきたことが知られてますね。

お店でも桔梗紋をあしらった和菓子も販売されているので、立ち寄ってみるのも良いと思います。

 

 

首塚がある路地は非常に狭く、案内がなければ見落としてしまいそう。

明智光秀首塚

少し歩けば左手に塚が見えてきます。

というか上の写真でも小さく塚が見えてますね(笑

 

 

こちらが首塚です。

明智光秀首塚

本当にひっそりと残されているって感じですね。

 

小さなスペースに祠と看板、石塔がありました。

明智光秀首塚

 

 

祠には「光秀公」の文字が確認できますね。

明智光秀首塚

ちなみに厨子の奥には明智光秀公の木像がありました。

 

祠の反対側に石塔があります。

明智光秀首塚

この石塔がおそらくは昔からある首塚ですね。

近くで見ても大分古いもののように見え、歴史を感じさせます。

江戸時代の地誌にも記載されていたって話なので、当時から訪れる人が結構いたのかもしれませんね・・・

 

 

ちなみに祠の横にあるもうひとつの石碑は明治時代に建てられたものだそうです。

明智光秀首塚

建てたのは歌舞伎役者の7代目市川團蔵とのこと。

7代目市川團蔵は演目「時今也桔梗旗揚」で光秀を演じているので、供養のために建てたみたいです。

ちなみに市川團蔵の光秀は当たり役と言われてたみたいですね。

 

 

まとめ

というわけで京都市東山区に残る明智光秀の首塚を紹介しました。

ちなみに少し距離がありますが、ここから南へ10km弱位の場所に光秀が討たれた場所と言われる明智藪があります。近くには光秀の胴塚も残されているので、併せて訪れてみるのも良いんじゃないかと思います。

明智藪