こんにちは!ZIGです。
今回は兵庫県丹波氏にある「黒井城」を紹介します!
黒井城は丹波の赤鬼・赤井直正の居城としてよく知られてますね。明智光秀の丹波攻めにおいても2度戦場となった事でも知られる黒井城。今回八上城と共に訪れてみました♪
目次
黒井城について
黒井城は別名を保月城(ほげつじょう)・保築城(ほづきじょう)とも言います。
本丸跡に建っている石碑にも「保月城」と記載されてますね。
黒井城は南北朝時代の建武年間(1334年〜1336年)に赤松貞範が築いたのが始まりと言われています。その後しばらくは赤松氏の居城だったようですが、戦国時代になると黒井城は萩野氏の居城に。しかし天文23年(1554年)、城主の萩野秋清に年初の挨拶に訪れた赤井直正が秋清を討ち取り、城を乗っ取ってしまいます。
この乗っ取りで赤井直正は「悪右衛門」と名乗るようになったとも言われてますね。
その後赤井直正は黒井城を拠点として勢力を拡大させていき、丹波の有力武将となりました。
天正3年から始まる明智光秀の丹波攻めにおいても赤井直正は明智光秀を苦しめたことが知られてますね。同じ丹波の武将・波多野秀治と協力して黒井城を包囲していた光秀軍を一度は敗走させています。
しかし天正6年に赤井直正が病没。その後まもなく落城しました。
落城後は光秀重臣の斎藤利三が城主となり、現在残っている縄張りになったと言われてますね。
黒井城アクセス
黒井城跡の最寄り駅は福知山線の黒井駅。徒歩1.5kmほど登山道入口に着くので、歩いていけなくもありません。時間にして20分ほどですね。
車でアクセスする場合は春日ICが最寄りのインターで、インター出口から登山道入口までは2kmほど。10分弱くらいでたどり着きます。
専用の駐車場あり
黒井城跡は登山道の入口に専用の駐車場があります。
ただ、台数はそれほど駐められないですね。訪れたタイミングによっては駐められないこともあるかもしれません。
その場合はあるいは近隣でコインパーキングを探す必要があるかもですね。
黒井城跡
というわけで黒井城へ行ってきました!
登山道前、駐車場の入り口に黒井城跡の石碑があります。
奥に登山道の入り口も見えてますね。
駐車場には黒井城の看板と、赤井直正の看板がありました。
丹波の赤鬼はやっぱり有名ですねー。
黒井城跡への登山道は2つ
黒井城跡へ向かう登山道は2つあります。
看板にも書かれているのですが「ゆるやかコース」と「急坂コース」の2種類ですね。名前のとおり「ゆるやかコース」の方が比較的傾斜がゆるやかで、「急坂コース」は山の斜面をまっすぐ登っていくような登山道なので結構急です。
ただ「ゆるかやコース」の方でも結構険しい登山道なので、歩きやすい靴は必須。
軍手も用意しておくと良いですね。
というわけで早速登っていきましょう!
登山口の石碑の横を通り、黒井城跡を目指します。
歩き始めは平坦ですが、すぐに結構な傾斜がある登山道へ。
ちなみにこの時点ですでに「ぜんぜん緩やかじゃなくね?」と思いました(爆
これは後で分かりましたが、「急坂コース」に比べれば比較的緩やか、という意味ですね・・・
名前に騙されないように注意です(汗
ちなみに黒井城の登山道はところどころ岩が露出している場所があるので、その点も注意ですね。
雨上がりなどは滑りやすくなるでしょうし、天気が微妙な時や雨上がり時は登らない方が良いんじゃないかな、って感じでした。
こんな感じの登山道を15分ほど登っていきます。
石踏の段跡
15分~20分ほど歩くと山の斜面に建物が見えてきます。
「石踏の段」と呼ばれる曲輪ですね。
石踏の段近くは道も細く急なので注意。
近くまでくると「赤門」が見えてきます。
名前のとおり門が赤一色なのが分かりますね。
この門をくぐると石踏の段に出ます。
こちらが石踏みの段跡の全景。
山の斜面対して横に長い曲輪で、結構広いスペースがありました。
ちなみに奥に見える休憩スペースみたいに見えるのが赤門です。そこそこ古い建築物に見えますが、造り自体は最近の物っぽく見える門ですね。城があった当時も門があったのかどうかは不明です・・・
そして石踏の段には石碑がひとつ建っていました。
読めない文字が結構あったのですが「邑主赤井」という文字は確認出来たので、赤井氏に関連のある石碑だろうと思われます。
「邑」は「くに」とか「むら」とか読むのでこの辺りを治めていた主って意味ですね多分。
石踏みの段を一回りしたら本丸へ向かいます。
石踏みの段から本丸までは約200m。
5分ほど登れば到着です。
ただ結構道が険しいので距離以上に大変でした(汗
東曲輪跡
本丸が近づいてくると道が細くなり、岩が露出している場所が増えてきます。
上の写真、向かって右手はかなり傾斜のキツい斜面です。
足踏み外したらガチ滑落なので注意。登山道自体もかなり急なので、軍手をして登るほうが安全ですね。
・・・で、主各部分の手前には獣の侵入を防ぐための門がありました。
ちなみに登山道入口付近にも門があります。
開けたらちゃんと閉めるのを忘れずに。
門を抜けるとすぐ東曲輪跡に出ます。
ここは正直それほど広いスペースではありませんでした。
ここには当時城門があったと言われてるそうです。
奥に見えるのは三の丸の石垣ですね。
精密というよりは荒々しく積み上げられている感じがして、いかにも戦国時代の城って感じですね♪
三の丸跡
石垣の横を登るとそのまま三の丸に出ます。
看板の横に見えているのは二の丸の石垣ですね。
三の丸は東曲輪よりもかなり広いスペースがありました。
草が結構生えているので正確な形状は分かりませんが、縦長な感じです。
二の丸跡
三の丸の次は二の丸へ。
二の丸は三の丸よりも更に広いですねー。
二の丸と本丸は一直線になっているので奥に本丸の石垣が見えてます。
そして二の丸には石垣がかなりしっかり残ってました。
これだけしっかりとした石垣があると言うことは、二の丸には結構デカい建物があったって事でしょうね。
南西側の石垣が一番綺麗に残っていました。
このあたりの石垣は天正年間のものらしいので、400年以上前のものですね。
本丸跡
二の丸の次は本丸後へ。
本丸にも石垣が確認出来ますが、大分崩れてしまってますね。
二の丸と本丸の間には小さな堀切がありました。
草生えてて写真だと形状がよく分かりませんが(汗
草が生えてなければもう少し形状がハッキリ確認出来たかもしれませんね・・・
本丸はだいたい二の丸と同じくらいのスペースがありました。
奥に石碑が建っているのが見えますね。
本丸にはベンチもいくつか設置されてました。
確かにここは見晴らしが良いので、ちょっと休みがてら景色を眺めるのも悪くありません。
時期とタイミングが合えば雲海も見えるらしいですね。
この日は夕方に登ったので、夕日が綺麗に見えました。
本丸からの景色はかなり良い感じです。
360度見渡せますし、これは雲海が出てたらホント絶景ですね・・・
まあこの日はゆっくりしていると日が沈んでしまう時間帯だったので、あまりゆっくりはしていられませんでしたが(汗
とりあえず、本丸の西端から下を見たらしっかり麓が見えました。
要するにそれだけ急斜面ってことです(汗
良くこんな場所に城つくりましたよね・・・
時間は限られてましたが、しばらく景色を堪能しました。
ちなみに黒井城や八上城に登ってみて改めて思いましたが、本当にこの辺りは入り組んだ地形してますねー。
平地が少なくて山が入り組みまくってます。
こういう地形だとやはり攻めにくかったでしょうね。明智光秀が丹波攻めに手こずったのも何となく分かる気がします。ま、光秀が忙しすぎて丹波攻めに集中できなかったってのもあるんでしょうけど(汗
太鼓の段跡
本丸からの景色を楽しんだ後は急坂コースの方へ。
途中にある「太鼓の段」という曲輪に向かいます。
この辺りもかなり道が狭いです・・・
ここも道のすぐ横が斜面になっていて、足を踏み外すとヤバいです。マジで。
そんな細い道をしばらく歩いて行くと・・・
綺麗に平になったスペースに出ました。
ここが太鼓の段ですね。
広さは「石踏の段」と同じくらいでしょうか?やっぱり斜面に対して横に長い形の曲輪でした。
本丸の守りを強化するために作られた曲輪ですね。
そういえば太鼓の段跡の看板の近くに古い看板が落ちてました。
最近になって新調したみたいですね。
ちょうど2020年大河ドラマ「麒麟がくる」が放映される前だったので、それに合わせての事かもしれません。
太鼓の段跡を見た跡は急坂コースを一気に下って駐車場を目指します。が・・・
いや、こっちは思った以上に急坂でした(汗
確かに「ゆるやかコース」はこっちと比べればかなりゆるやかな上り坂だな・・・という感じ。
かなり直線的に下ってますし、やはり所々に岩が露出している場所があるので気を付けないと足を滑らせかねません。
これは登りで使うとかなりキツいですねー。
緩やかコースで登って正解でした(笑
そんわけで大分暗くなってきていたので急いで下山したかったのですが、結局15分ほどかかって駐車場までたどり着きました。
まとめ
というわけで黒井城を紹介しました!
黒井城は本丸に残る石垣と景色がかなり良い感じですね♪登山にもそれほど時間がかかる訳ではないので、興味ある方はぜひ一度登ってみると良いと思います。
ただ、登山道が結構険しいのでその点は注意ですね!それなりの準備はした上で登ることをおすすめします。