【麒麟がくる】明智光秀の生まれた年は享禄元年・永正13年、どちらの説を採用したのか?

麒麟がくる

こんにちは!ZIGです。

2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では今まで描かれたことのない明智光秀の前半生が描かれます。ここ楽しみで仕方ないですよね♪

ただ、そこで気になるのは明智光秀の生年がいつに設定されるのか?ですね。そこで今回は公開されてる情報から「麒麟がくる」における明智光秀の生年設定を考えてみたいと思います。

明智光秀の生年は実はよくわからない

実は明智光秀の生年はハッキリわかっていないんですよね。

そもそも前半生の記録が全くと言っていいほどなく、いつどこで生まれたかも正確には分かりません。

ただ、よく言われているのは享禄元年(1528年)説と、永正13年(1516年)説の2つですね。

 

享禄元年説の根拠となってる資料は明智軍記や明智系図、明智一族宮城家相伝系図書など。明智系図によれば光秀は享禄元年3月10日生まれ、明智一族宮城家相伝系図書によれば享禄元年8月17日生まれです。

明智軍記は生年月日は書かれてませんが、明智光秀の辞世の句が書かれていて(もちろんこれは後世の創作)、そこに「五十五年の夢」という記載があります。つまり亡くなった天正10年(1582年)から逆算すると享禄元年生まれということになるわけですね。

 

対して永正13年説の根拠になっている資料は当代記。

光秀が亡くなった年齢を「時に67歳」と記載しているため、逆算すると永正13年になります。

 

・・・ただ、どちらも根拠となる資料の信憑性が疑われていて、意見が分かれてるんですよね。

例えば明智軍記は光秀が亡くなって100年以上も経過した元禄年間(1688年〜1702年)に書かれた作者不詳の軍記物。史実とは異なる記載が各所に見られるので資料としての信憑性は高くないと言われてます。

当代記は徳川家康の外孫に当たる松平忠明が編纂したと言われていますが、こちらも寛永年間(1624年〜1644年)に作られたもので、少なくとも光秀が亡くなって40年以上が経過してまとめられた資料です。

なので、その記載をそのまま信じていいのか?という話になっちゃうんですよね。

 

定説とされてきたのは享禄元年説

ただ、定説となってるのはどちらかといえば享禄元年説。

戦国史研究の権威、高柳光寿氏も「おそらくこのくらいの年齢だったんじゃない?」といったちょっと曖昧な表現で肯定していて、その結果定説になってるっぽいです(汗

ちなみに「麒麟がくる」に歴史考証として参加が決まっている小和田哲男氏も積極的に肯定はしてませんが、おそらく享禄元年説の方が実年齢に近いのでは?と自身の書籍「明智光秀 作られた謀反人」で書いています。

戦国史研究家の谷口克広氏も著書「明智光秀 浪人出身の外様大名の実像」で「確証はないが、大体そんなところだろう」と断言は避けてますが、享禄元年説を推してますね。

 

永正13年説も有力視されている

しかし永正13年説を推している人もいます。

例えば明智光秀の子孫と言われる明智憲三郎氏もこちらの説を取ってますね。資料としては誰が書いたかわからない軍記物の明智軍記より、当代記の方がはるかに信憑性が高いのでは?ということになるでしょうか。

ただ、やっぱり決定的な証拠には欠けるので、どちらが正しいとも言い切れません。

 

「麒麟がくる」ではどの説を採用するのか?

・・・とまあよく言われる説を2つあげましたが、「麒麟がくる」では享禄元年説を採用したみたいですね!

根拠となるのは以下の3点です。

  • 公開されたあらすじ
  • 幼い頃からの学友の義龍
  • 歴史公証が小和田哲男氏

公開されたあらすじ

公開されたあらすじから考えて、永正13年生まれはかなり無理がある設定です。「麒麟がくる」のあらすじでは光秀のことを「1540年代なかば、東西の要衝たる美濃の地に、一人の若き虎がいた。」と表現してますよね。

仮に「1540年半ば」を「1545年」として考えると、永正13年生まれ(1516年)の場合この時点で光秀は30歳くらいになってしまいます。これでは時代的に考えて、「若き虎」とはとても言えません。どう見てもいい年のおっさんです(爆

なので永正13年生まれとは考えにくいですね。

幼い頃からの学友の義龍

「麒麟がくる」美濃編の登場人物を見ると、斉藤義龍が「光秀の幼いころからの学友」となっているので、光秀と年が近い設定なのが分かります。

斉藤義龍は大永7年(1527年)生まれなので、光秀もこの頃に生まれたと考えるのが自然ですよね。となればやっぱり享禄元年(1528年)生まれとなるでしょう。そうすれば1歳違いの幼なじみということになります。

歴史公証が小和田哲男氏

「麒麟がくる」では歴史公証に小和田哲男氏の名前があります。

小和田氏は先ほど書いた通り、著書でも断言は避けてますが享禄元年説の方が実年齢に近いのではないか?と書いてます。そんな大和氏が歴史考証で関わっているのも享禄元年説の一つの根拠になるのでは?という感じですね。

 

これらの点から考えて、「麒麟がくる」の明智光秀は享禄元年生まれということになるでしょう!

まあ多分この点は劇中で触れられることも無いような気がしますが(笑

 

おまけ:Googleは明智光秀の生年月日をこう認識している!(笑

ちなみにGoogleで「明智光秀 生年月日」と検索すると、結果は以下の通り。

明智光秀の生年月日

Googleは1528年3月10日生まれだと認識してるようです(笑

要するにネット上ではこの誕生日で言及されていることが最も多い、「定説」という事かもしれませんね。

 

まとめ

というわけで「麒麟がくる」における明智光秀の生年設定についてまとめてみました!

結論としては享禄元年生まれ、享年55歳ということになりそうです。まあ永正13年生まれだと長谷川博己もかなりのおじいちゃんを演じることになりますので(笑)設定的にもこちらの方が妥当なのかなという気がします。史実がどちらかは置いといて。

年齢設定は従来の定説を採用した「麒麟がくる」ですが、最新の歴史考証も踏まえた話になるとのこと。なので光秀の55年の人生がどのように描かれるか?今から楽しみですね。