【麒麟がくる】タイトルの意味から物語の結末を予想!本能寺の変の原因は麒麟と関係する?

麒麟がくる

こんにちは!ZIGです。

今回は2020年大河ドラマ「麒麟がくる」のタイトルの意味と、そこから考えられる物語の結末を予想してみようと思います。

なぜ明智光秀主演の大河に「麒麟」の名前が入ってるのか?そこからどんな結末が予想されるのか?まとめてみました。

「麒麟がくる」タイトルの意味を考えてみる

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の制作発表の際、企画意図にこんな文章が記載されてました。

王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟。
応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは、誰なのか…
そして、麒麟はいつ、来るのか?

若き頃、下剋上の代名詞・美濃の斎藤道三を主君として 勇猛果敢に戦場をかけぬけ、その教えを胸に、やがて織田信長の盟友となり、多くの群雄と天下をめぐって争う智将・明智光秀。
「麒麟がくる」では謎めいた光秀の前半生に光を当て、彼の生涯を中心に、戦国の英傑たちの運命の行く末を描きます。

引用元:2020年 大河ドラマ 制作・主演決定!脚本 池端俊策 & 主演 “明智光秀” 長谷川博己 大河ドラマ 麒麟(きりん)がくる |NHK_PR|NHKオンライン

今回の大河ドラマは明智光秀が主役ですが、タイトルには光秀の名前が入ってません。

大河ドラマはすべての作品とは言いませんが、割と主役の名前または家名を入れる事が多いですよね(真田丸・おんな城主直虎・西郷どんetc)。しかし今回に関しては「明智」も「光秀」も入っていませんし、明智家の家紋「桔梗」といった言葉も入っていません。

 

「天海」とか入ってたらネタバレ上等すぎてビビりますが(笑

 

なぜ敢えて光秀の名ではなく「麒麟がくる」というタイトルが付けられたのか?ここって意外と気になりますよね。やっぱりこのタイトルにはいろいろ意味が込められている気がしてなりません。

というわけでタイトルになっている「麒麟」と、企画意図で書かれている「仁のある政治」を調べた上で、まずは「麒麟がくる」というタイトルの意味を考えてみたいと思います。

 

麒麟とは?

というわけでまずは「麒麟」について調べてみました。

麒麟というのは動物園にいるキリンじゃなく、中国神話に登場する霊獣のことですね。麒麟はこの世の動物たちの長と考えられていて、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」とも称されます。

麒麟は竜のような顔に1本の角(2本角や3本角で描かれる場合も)、鱗に覆われた鹿のような身体、牛の尾、馬の蹄を持ち、毛は黄色で背毛は5色。背丈は5mほどもあり、1000年以上を生きるとのこと。

また普段の性格は穏やかで、虫や植物すら踏むことを恐れるとも言われます。ただ、良い行いをする人に優しい反面、悪人には敵意を剥き出しにする側面もあるみたいですね。

 

ちなみに霊獣は「瑞獣(ずいじゅう)」とも呼ばれ、瑞兆・・・要するに何かめでたい事に合わせて現れるとされていて、麒麟は「仁の心を持つ君主が生まれたとき」「王が仁のある政治を行うとき」に現れる瑞獣です。「麒麟がくる」では「王が仁のある政治を行う時に必ず現れる」と書かれてますが、そういう政治を行う王が生まれた時にも姿を現すわけですね。

例えば論語などで知られる孔子が生まれたとき、そして亡くなる前には麒麟が現れたって話があります。

 

この「仁の心を持つ君主が生まれたとき」にも麒麟が現れるという言い伝えから、幼い頃から才能に優れ、将来有望な子のことを「麒麟児」と言いますね。

 

「仁のある政治」とは?

というわけで「王が仁のある政治を行う」時に麒麟は現れるわけですが、じゃあ「仁のある政治」って何?という話ですね。

「仁のある政治=仁政」というのは「民衆に恵み深い、思いやりのある政治」を指す言葉です。

 

そして「仁」はざっくりと言えば「人を思いやる気持ち」であったり「誠実であること」とかでしょうか。生涯を通して学び続ける「人としての正しい生き方」とも言い換える事が出来るかも知れません。

孔子は「仁」をその教えの根本に置いていて、論語の中でも何度も「仁」についての話が出てきます。例えば以下のような言葉で、孔子は「仁」を説いています。

子曰く、唯(ただ)仁者のみ能(よ)く人を好み、能(よ)く人を悪(にく)む。

仁のある人は心が公平で、美しいものは美しく見えるし、醜いものは醜いと見える。だから好むべき人を好み、憎むべき人を憎む。

子曰く、徳あるものは必ず言あり。言ある者必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり。勇者必ずしも仁あらず。

徳を積んでる人はそれが言葉にも出る。しかし良い事を言っているからと言って必ずしも徳があるとは限らない。仁者は私心がなく義に従うから勇気がある。しかし勇気があるからと言って必ずしも仁者ではない。

子曰く、巧言令色鮮(すくな)し仁

いい顔して人にへつらったり、言葉巧みに人を喜ばせるのは仁とは言えない

 

こうした「仁」のある政治が行われるとき、麒麟は現れるわけです。

 

「麒麟がくる」の「麒麟」は光秀か?

とりあえず私、最初に思ったのが「麒麟」=「光秀」なのかな?でした。

しかしこれは微妙に違うんじゃないかな?と考え直しました。「麒麟がくる」というタイトルは以下の3点を意味して付けられているんじゃないでしょうか。

  • 仁政を行う王が現れるという意味
  • 天下泰平の世の中がくるという意味
  • 麒麟児としての光秀がくるという意味

実は他にも「多くの英傑が『麒麟が現れるような世界』を願い、戦うから」なんて意味もあるのかな?と思ったんですが、これはなさそうですよね。そういう理想を掲げて戦ってた武将はそんなにいなかったような気がします。これだと話を美化しすぎな気もするし(笑

 

一番はやっぱり応仁の乱以降の戦国時代を終わらせ、仁政を行う王が現れるという意味で考える方が自然ですよね。

ただそれに加え、斎藤道三にも抜擢される有能さを持った「麒麟児」としての光秀の登場、という意味を含んでいるでは?と思います。

そして乱れた世を立て直し、仁政を行う王は誰なのか?というと・・・

これはやっぱり織田信長、ですよね。

 

仁政を行う王は織田信長。しかし・・・

「麒麟がくる」における・・・というか光秀にとっての「仁政を行う王」は織田信長を指している可能性が高いように思います。

少なくともその片鱗を信長の中に見たたため、光秀は信長に仕えるようになるんじゃないでしょうか。

 

「麒麟がくる」の登場人物には麒麟の存在を信じている「駒」という娘が登場します。光秀はどこかのタイミングで駒と出会い、「王が仁のある政治を行う時に現れる」麒麟の存在を知る。それ以降、そんな王にこそ仕え、この乱れた世の中を終わりにしたい・・・と強く願うようになった。

かつて仕えた斎藤道三は実の息子に討たれるという非業の最期を遂げ、明智家一族も討たれてしまう。

そんな経験をした光秀だからこそ、そんな王の現れることを強く願っても不思議じゃありません。

 

ちなみに織田信長が「仁のある政治」を行うイメージはあんまり無いような気がしますよね!どっちかと言えば気が短くて怖い、大げさに言えば「魔王」的なイメージを持ってる人も多いでしょう(笑

しかし信長って上洛した際に「絶対に略奪とかするなよ!?したら切るぞ!」と自軍に厳命して治安維持に勤めたり、秀吉夫婦の痴話喧嘩を仲裁したり、裏切った人間でも謝れば許したりと意外と優しい側面を持ってます。

宣教師ルイス・フロイスも「自分への侮辱は許さず、罰しなければ気が済まなかった」といったことも言いながら「身分の低い家臣とも親しく話した」とか「いくつかの事では人情味と慈愛を示した」と評価してるんですよね。

信長公記にも乞食を助ける逸話が残っていたりと、優しさを感じさせるエピソードも数多く残っています。

なのでそういう所を光秀も目にして、この人ならこの戦国の世を終わらせ、仁のある政治をしてくれる違いない!と思ったのでしょう。

 

しかし、権力が大きくなっていく中でだんだん信長は変わっていってしまう。

仕えはじめた頃と変わってしまった信長を見て、この方では戦国の世を終わらせることは出来ない。麒麟が現れるような平和は訪れず、ずっとこんな世の中が続いてしまう・・・

「麒麟が現れる世界」を強く願った光秀はそんな信長の姿に葛藤することになるのではないでしょうか。

 

本能寺の変を起こした理由はどの説が採用されるのか?

そんな葛藤を抱える光秀が本能寺の変を起こすに至った最大の理由が何になるか?ここもやっぱり気になりますよね。

ここに関しては、個人的には徳川家康暗○阻止説が採用されるのでは?と予想してます。

あ、ちなみにあくまで最大の要因がこれ、という予想で他の要因も色々絡んだ挙げ句、という感じのイメージです。

 

「麒麟がくる」は従来のイメージを覆すキャラクター像を描くと言われてます。となれば「勇猛果敢で理知的な天才」として描かれる光秀が、定番となって使い古されてる「怨恨説」「黒幕説」「野望説」で本能寺の変を起こすとは思えません。

その上で、タイトルとなっている「麒麟がくる」に意味があるとすれば、やっぱり光秀は「麒麟が現れる世界」を強く強く願ったがために本能寺の変を起こすのではないでしょうか。

 

史実を見れば、織田信長は「麒麟が現れる世界」を作ることはできませんでした。仮に本能寺の変が起きてなかったとしても、日本統一後にあるいは海外に攻め込んでいたのでは?なんて説もありますし、そういう世界は作らなかった可能性があります。

実際に「麒麟が現れる世界」を作ったのは徳川家康ということになりますよね。

つまり、光秀は家康のために本能寺の変を起こすのではないでしょうか。

 

色々と葛藤はあったけど、信長が「本能寺に家康をおびき出すからお前が討て」と命令を下したのが決定打となり、その計画を逆手に取り、信長を本能寺で討つことを決意した。

そんな命令を下す信長に「仁」があるとは到底思えず、これでは「麒麟が現れる世界」は訪れない。しかし家康ならそういう世界を作れるかもしれない。だからこそ、今ここで家康を討たせるわけにはいかない・・・

個人的な恨みではなく、誰かにそそのかされたわけでもなく、光秀自身が目指した世の中のために悩み・苦しみ、その果てに導き出した結論が「信長を討つこと」になるのではないでしょうか。

 

本能寺で起こる「獲麟」

ちなみに麒麟には「獲麟」という話があります。

獲麟(かくりん)とは、中国の歴史書である『春秋』の最後に書かれた出来事で、後世には転じて「物事(あるいは人生)の終わり」の意味で用いられるようになった言葉。

引用元:獲麟 | wikipedia

この「獲麟」が本能寺で描かれるんじゃないかな?というのもちょっと予想・・・というか期待してます。

 

本能寺の変の際、信長の遺体が見つからなかった話はよく知られてますよね。

信長を討った確証を得るため、やはり信長の首は不可欠でした。なので光秀は秀満たちに首を探させます。しかしどうしても見つからない・・・

焦る光秀でしたが、そんな時「奇妙な生き物を捕らえました」という報告を受けます。見に行ってみたらそれがまさかの麒麟だった・・・みたいなね。こんなタイミングで現れるはずのない麒麟が現れたことで、光秀は自身の終わりを悟りながら、山崎の戦いへ臨む事になる・・・

なんて展開もあるんじゃないかなーと妄想してます。完全に妄想ですけど(笑

 

あるか?天海=光秀展開

明智光秀と言えば「山崎の戦い」を生き延びで天海となったという説がありますね。

今回の大河ドラマは光秀が主人公になるので、もしかして天海になる展開もあるか?と期待しちゃいますが・・・

 

まあ、流石にそれはないんじゃないかなと思います(笑

 

生きのびて天海になったとすると話が江戸時代まで行っちゃいますし、ハッキリ言って話が長すぎます。いくら大河ドラマが1年間放送すると言っても、そこまで描くのは尺が足りないでしょう。

というかその結果として「明智光秀」としての物語が端折られてしまったらそれこそ意味がありません。それよりは明智光秀の成長や葛藤、戦いをしっかり描いてほしいですしね。

 

それにタイトルが「麒麟がくる」なので、結局光秀は「麒麟が現れる世界」を強く願いながら、見ることなく亡くなるんだと思います。タイトルが「麒麟がきた」だったら展開も違いそうですけど(笑

なので天海=光秀展開は見てみたいとは思いますが、なさそうだしやってほしくない!というのが本音です。

 

まとめ

というわけで「麒麟がくる」のタイトルの意味と、そこから予想される物語の結末を予想してみました。

当たってるかどうかは実際終わってみないと分かりませんけど(笑

しかし今までと違う描かれ方をするであろう明智光秀が何を願い、どんな結末を迎えるのか?楽しみでしかたありませんね。

 

 

 
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