島根県太田市にある世界遺産、石見銀山に行ってきました。
石見銀山は2007年に世界遺産に登録。鉱山遺跡としてアジアでは初めて世界遺産に登録されたのだそうです。その歴史は1526年に始まり、1923年までの約400年に渡って続き、良質な銀が産出されていたのだとか。
ここは石見銀山の坑道だけではなく、景観や寺社仏閣など様々な見どころがあるので、一通り見て回ってきました。
とりあえず最初の目的地は実際に中に入れる唯一の坑道「龍源寺間歩」です。
目次
石見銀山、龍源寺間歩へ
まずは石見銀山世界遺産センターの駐車場に車を止め、ここからはバスで移動。石見銀山までは車で直接行くことができません。
レトロなバスに揺られて移動。
到着すると、目の前に見えるのは石見銀山公園の門。
目的地の龍源寺間歩(坑道のことね)までは2.3km。ここからは徒歩で移動です。
他にもレンタサイクルやベロタクシーで移動という手段もあるので、歩くの嫌な場合はこちらがおすすめ。下の写真はベロタクシー。公園入口に何台か止まってました。
ちょうど何人かの観光客の方がいたのですが、その方たちはレンタサイクルで龍源寺間歩へ向かう模様。
私は徒歩を選択。せっかく来たのだし、景色もゆっくりみながら行きたいしね。
こちらは石見銀山遺跡の全体図。
こうして見るとかなり広範囲なのが分かりますね。
石見銀山は「石見銀山遺跡とその文化的景観」という形で世界遺産登録されているので、周辺一帯が保護されており、そのため車では入ることができないようになってます。
のどかな風景が広がってます。
この日は晴天。春先でしたが少し汗ばむくらいの暑さでした。
そのため後で徒歩を選んだことをちょっと後悔(笑
史跡・渡辺家住宅
少し歩くと「渡辺家住宅」という古めかしい感じの家がありました。
石見銀山の代官所役人の家とのとこ。このあたりには銀山が賑わっていた当時の建物がいくつも残ってるみたいです。
豊栄神社
こちらは豊栄神社。
豊栄神社は毛利元就を祭神として祭った神社。毛利元就が自分で彫ったと言われる木像がご神体になっているそうです。建てられたのは元亀2年(1571年)と言われているので、おそらく石見銀山が賑やかだった当時ですね。
大きな木々の中をひたすら歩き、龍源寺間歩へ向かいます。
ちなみにバス停から龍源寺間歩へ向かうこの道は緩やかな上り坂。
なので距離としては2キロ程度ですが、思ったよりも疲れます(汗)なのでレンタサイクルを使った方が多分楽。ただ、景色をゆっくり眺めながら行くなら徒歩がおすすめです。
福神山間歩
少し歩くと福神山間歩という石碑がありました。
これも坑道のひとつですが、入ることはできません。石見銀山には600もの坑道があるのですが、現在常時開放されているのは龍源寺間歩のみ。
もうひとつ大久保間歩という坑道が公開されてるのですが、こちらは常時公開ではありません。冬季を除く土日祝日に限り、大久保間歩一般公開ツアーというのがあるので見たい場合はそちらに申し込む必要があります。
この日は平日なので大久保間歩は行けませんでした。残念。
また少し歩くと駐輪場があります。
どうやら自転車もここまでしか使えないみたい。ここから龍源寺間歩までは徒歩でしか行けないようです。
龍源寺間歩まではひたすら緩やかな上り坂。意外とキツイ(笑
龍源寺間歩
しばらく歩くと小屋が見えてきました。ここが龍源寺間歩へ入るための受付だそうです。
ここで入場料を支払います。大人は400円。
龍源寺間歩の入り口。
中は結構広いです・・・が、天井がかなり低い。170cmくらいの人でも少し腰を曲げて歩くようにしないと頭をぶつけそう。
外は結構暑かったのですが、坑道の中はかなりひんやりしてました。少し肌寒いくらい。
龍源寺間歩は江戸時代前期から掘られていた坑道で、大久保間歩に続いて大きな坑道なんだとか。長さは600mほどもあるそうです。ちなみに大久保間歩は870mほど。
横の壁の至る所に横穴が彫られてます。
これは「ひ押し抗」って言うらしいです。
岩と岩の隙間に挟まっている鉱物を採掘していった跡なんだとか。
坑道の至る所に頭上注意の文字があります。
気を付けてても何度か頭をぶつけました(笑
しばらく歩くと少し広いスペースに出ます。
ここは廃坑になった後、観光用に掘られた新坑道。
龍源寺間歩はこの先も続いてるんですが、公開されているのはここまで。
新坑道を通って出口へ向かいます。
出口が近くなってくると若干坑道内の気温も上がる気がします。
ちなみに壁に設置されてるパネルには石見銀山の当時の様子なんかが描かれてました。
出口。
龍源寺間歩?バス停まで
そういえば出口のそばにこんなものがありました。ここでしか売ってない「香りの石」だそうです。
気になったので買っちゃいました(笑
確かに不思議なニオイがします、この石。
どこかで嗅いだような、懐かしいような・・・
でも、何のニオイかは結局わかりませんでした。
はい、というわけで龍源寺間歩も見たので今度は昇ってきた道を下ります。帰りの道にもいくつか建物がありました。
佐毘売山神社
こちらは佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)。
佐毘売山神社は金山彦神(かなやまひこのかみ)を祭った神社。金山彦神は金山毘売神(かなやまびめのかみ)と並んで鉱山の神として信仰されてます。
新切間歩
少し歩くとまた別の間歩が見えました。
新切間歩。
新切間歩は龍源寺間歩と並んで重要な坑道の一つだったらしいです。が、今は水が溜まっていて入れなくなってました。
帰りは行きの道ではなく、森の中の遊歩道を通ることに。このあたりもかなりのどかな感じです。
清水寺
かなり古い感じのお寺。清水寺とかいてあります。
また遊歩道を歩きます。
釜野屋で休憩
さすがにちょっと疲れたので休憩。ちょうど釜野屋という茶屋があったので入りました。
中はレトロな雰囲気。こういうの個人的には大好きです(笑
焼きだんごとアイスコーヒーをいただきました。暑い中を結構歩いたのでアイスコーヒーが美味い。そして焼きだんごも旨い。
少し休憩してまた歩きます。スタート地点が近くなると道もアスファルトに。
五百羅漢
石見銀山公園の入り口のところまで戻ってくると、五百羅漢の文字が目に入ります。
実はこれ、来たときも目に入ったんですがとりあえず龍源寺間歩が先、と思ったので後回しにしてたのでした。
せっかく来たのでこちらも見ていきます。
こちらでまず受付。
こちらが入口。
・・・ここは撮影禁止とのことで、中は写真が取れませんでした。なので外観のみ。
とりあえず、羅漢像はひとつひとつかなり精巧に作られていて、表情が本当に豊か。すべての羅漢像が違う表情をしているし、その姿勢も様々。石見銀山に来たら一緒に見てみることをおすすめします。
町並み地区
石見銀山公園から見て、龍源寺間歩の反対方向には昔の街並みを残す街道が伸びています。
今度はこちらを歩いてみることに。
少し歩くと見えてくるのは栄泉寺。
慶長年間(1596年)に建てられた曹洞宗の寺院だそうです。
その後も昔ながらの町並みが続きます。
ちなみにこの日は平日の昼間だったせいか、とにかく人がいない(汗
めだかの学校。
こちらは旧大森区裁判所。
明治23年に建てられたそうで、国指定文化財になってるそうです。確かにいかにも明治って感じの建物ですねー。
観世音寺。
大森裁判所の祈願寺で真言宗の寺院だそうです。
宝暦年間(1751?1763年)にこの寺の住職を務めた月海淨印という方が、銀山で亡くなった方の供養のため、五百羅漢を建立したとのこと。
観世音寺の現在の建物は万延年間(1860年)に再建されたもの。一度寛政の大火で寺院はすべて焼けてしまったそうです。
このあたりはお店もたくさんありますが、全て昔の建物をそのまま使ってる感じの外観。
釜めし屋。
銀行もレトロな感じ。
こちらは熊谷家住宅。国指定重要文化財です。
このあたりで最も有力な商家だったらしい熊谷家の住宅です。
ちなみに熊谷家は元をたどると毛利家の家臣だったという話があるそうです。江戸時代初期のころから銀山付役人を務めていたんだとか。歴史感じますねー。
・・・といった感じで一通り町並み地区を歩くとバス停が見えてきました。
ここから石見銀山世界遺産センターへ戻れます。
そういえば、バス停の近くには西南戦争戦没者の慰霊碑がありました。
西南戦争は言わずと知れた西郷隆盛を中心として明治10年に起こった士族の反乱。2016年の段階で言えば日本国内で起こった最後の内乱ってことになります。ここ島根からも政府軍として多くの人が徴兵・出征し、亡くなったのだとか。
西南戦争では政府側だけでも6000人を超える戦没者がいたと言われてます。
10分ほど待つとバスが到着。
バスに乗って再び石見銀山世界遺産センターへ移動。これで石見銀山観光は終了ー。
石見銀山を歩いてみて
疲れました(爆
石見銀山地区だけでなく町並み地区も歩くとなると結構な距離になります。ちなみに銀山地区はおおよそバス停から龍源寺間歩まで2.3km。そして街並み地区がおおよそ800m。龍源寺間歩までの道は往復になるので4.6km、それに町並み地区の800mを併せると5.4kmってことになります。意外と歩く(汗
なので石見銀山を見て回るのなら歩きやすい恰好&靴で臨んだ方が良いです。レンタサイクルとかも使った方が楽。
ちなみにかかった時間は・・・というと、おおよそ合計で2時間半くらい。ゆっくり歩いて回るなら3時間くらいは見ておいた方が良いと思います。
なんにしても歴史を感じることができる景観を含め、中々良い場所だったなーという感想。是非近くに来た際は行ってみてください。