おんな城主直虎も始まりますし、井伊直虎ゆかりの地、井伊谷城跡へ行ってきました。
井伊谷城は浜松城の北西、三方ヶ原からもさほど離れていない場所にあります。
ちなみに井伊谷城とは
井伊家初代当主、井伊共保が1030年頃建てたといわれており、以降井伊家の居城として使われた井伊谷城。
井伊直虎が当主を務めたのは永禄8年(1565年)から天正10年(1582年)の17年ほどの間。井伊家23代目直親の死後、まだ幼かった24代目直政の代わりとして当主を務めました。
24代目の直政は徳川四天王としても有名な「井伊の赤備え」の井伊直政ですね。
直虎は当主となった後の永禄8年(1568年)、家臣の小野道好によって一度城を奪われるという経験をします。この時は近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久といった武将と、徳川家康の助けもあり城を奪取。
しかし元亀3年(1572年)には武田信玄の西上作戦によって再度危機に瀕することに。武田軍の山県昌景隊が侵攻してきます。仏坂で戦となり、ここで徳川方は敗北。再度井伊谷城を追われてしまいます。
しかしその後、武田軍は信玄が病気によって亡くなったことで退却。そこで再度井伊谷城を取り戻しました。
こんな感じで直虎が当主を務めていたころの井伊谷城は結構大変な時期だったようです。そんな中直虎は養子として直政を育て、徳川家に出仕させるのでした。
このあたりは大河ドラマでどんな風に描かれるのか?ちょっと楽しみですね。
井伊谷城入口
井伊谷城跡(城山公園)は引佐多目的センターの前の道を登っていくと行けるのですが、センターの駐車場にはこんな案内がありました。
多分、ここに止めてく方が多いんでしょう(笑
看板にはマスコットキャラクターの直虎ちゃんが描かれてました。直虎ちゃんがかわいーですね(笑)耳としっぽは虎だそうです。
というわけで。
いったん車を地域遺跡センターまで移動させ、そこから歩いて井伊谷城へ向かいます。
山頂へ向かう道の入り口には井伊谷城跡(城山公園)の案内があります。
山は標高100mくらい。山頂までの道は310m。
大した距離じゃないな、と思ったのですが・・・
ここの道はかなり急でキツかった(汗
道は舗装されてるにですがとにかく急。登りもきついけど下りも気を付けないとマジで転びそう。なんというかプチ登山という感じ。
時間的には15分程度だと思いますが、結構体力が要ります。
井伊谷城跡(山頂)
山頂に着くと井伊谷城の跡地を示す看板と杭。
建物は何も残っておらず、土塁が残っているのみ。
ですが明らかに人工的に作られた感じがあり、確かにここに城があったのだと感じさせます。
ぐるっと土塁を一回りすると、途中に三岳山の案内がありました。
三岳山の山頂には三岳城跡があります。
三岳城は南北朝時代に建てられたといわれており、井伊家は普段はこの井伊谷城にいて、有事の際には三岳城に籠って戦ったそうです。
三岳山は井伊谷城よりも標高が高い場所にあり、守るに適した場所だったんでしょうね。
大きな岩がいくつか転がっている土塁の中心部。
ここには本丸跡の杭が立ってるはずなですが、なぜか無くなっていました。折れちゃったのか?
山頂からの景色はなかなか絶景。
龍潭寺も見えてるはずですが・・・どこだか微妙に分からない(笑
直虎もこの景色を見ていたんだと思うとちょっと感慨深いです。
・・・とまあこんな感じで土塁と景色以外は見るところもないので下山。
そのまま龍潭寺も見ていくことにしました。