いだてん40話ネタバレ感想まとめ!いよいよ最終章がスタート!!20年越しの五輪開催へ・・・

いだてん40話の感想まとめ

こんにちは!ZIGです。

今回は大河ドラマ「いだてん」40話のあらすじと感想をまとめます♪

がっつりネタバレしてるのでその点は注意ですよ!

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2019年10月29日

いだてん40話「バック・トゥー・ザ・フューチャー」予告

いよいよ「いだてん」も最終章に突入です!

40話は舞台が1959年へと移るようですね。東京オリンピック招致活動が大詰めを迎える中、田畑はNHK解説委員・平沢和重を東京都庁に招きます。

そして開催が迫るIOC総会で最終スピーチを頼むのですが、断られてしまうようですね。

そんな平沢に対して田畑はすべてを失った敗戦から彼岸のオリンピック招致に至までの噺を語り始めます。その噺は戦後の食糧不足の中で天才・古橋廣之進を浜松で見いだすところから始まります・・・

「俺たち日本人は面白いことやらなきゃいけないんだよ!」

果たして田畑はどんな想いで20年越し・再びのオリンピック招致にたどり着いたのか?

 

・・・とまあそんな感じの予告でしたね。

日本は戦後、連合国軍の占領を脱した1954年(昭和29年)に1960年のオリンピック開催地に立候補しますが、この時はローマに敗れました。その後、1964年のオリンピック開催地に再度立候補し、1959年(昭和34年)の第55次IOC総会で開催地に選出されることになります。

ちょうどこの頃が描かれることになるでしょう。

1940年の開催返上から20年近くを経て成功したオリンピック招致。ここに至る道はけして平坦なものではなかったはず。40話ではここに至る過程が田畑の回想という形で語られることになりそうです。

 

古橋廣之進ってどんな人?

予告の中に「古橋廣之進」という方が出てきますが、この方は「フジヤマのトビウオ」の異名を持ち、戦後の水泳界で何度も世界記録を打ち立てた方ですね。

敗戦国となった日本は戦後のオリンピックにも出場出来ませんでした。しかし古橋廣之進は1948年ロンドンオリンピックと同日に開催された日本選手権でロンドン五輪金メダリストを破る記録を出しています。この記録は当時の世界記録でもありましたが、日本水連が除名された状態だったため公式記録にはなりませんでした。

その後も世界記録を塗り替えていく古橋廣之進は敗戦直後で苦しい時期だった日本にとって国民的ヒーローだったみたいです。

その後の1952年、ようやく出場できるようになったオリンピックに古橋は参加しますが、その頃には選手としてのピークも過ぎていたためメダルには届きませんでした。

もし全盛期にオリンピックに出られていたら金メダルの可能性は充分あった方ということですね・・・

 

選手としての全盛期にベルリンオリンピックが中止になり、走れなかった金栗四三と似てますね。

 

戦後の復興期、田畑(阿部サダヲ)と古橋廣之進はどのように出会うのか?

楽しみですね♪

 

古橋廣之進役は金メダリスト・北島康介!

そしてもうひとつ楽しみ楽しみなのは、古橋廣之進を演じるのが北島康介というところです!

言わずと知れたアテネ・北京の金メダリスト、北島康介がドラマ初出演。北島康介さんが初めて代表入りしたと時の日本水泳連盟の会長が古橋廣之進だったこと、おそらく自分たちが直接古幡氏をしっている最後の世代であることも出演を受けた要因だったみたいですね。

結構最終章では出番も多いんじゃないかと思いますし、オリンピックが題材のドラマなだけにこれ以上の配役はないのでは!?

って感じですね♪

 

40話あらすじ(ネタバレ注意)

志ん生に酒を飲ましていたことがばれ、前座に降格となった五りんの噺でスタートする40話。

志ん生が退院したこと、辛作が五りんのために足袋を作ってくれたことが簡単に触れられます。辛作もマラソン用足袋を作るのは久しぶりだったようですが、五りんの足の形が親父(勝)にそっくりで作りやすかったとのこと。

満州での勝の姿を思い浮かべ、足袋を履いた五りんは走り出します。

そして物語もいよいよ1964年のオリンピックへ・・・

昭和34年(1959年)東京

オリンピック招致を控え、東京でIOC総会が開催される。

東を東京都知事にした田畑はIOC総会に向け、打てる手をすべて打って臨んでました。しかしそんな矢先、スピーチを担当するはずの外交官・北原が骨折してしまう。その代役として推薦されたのがNHKの解説委員になっていた平沢和重でした。

しかし、平沢和重は東京でオリンピックを開催することに反対の姿勢。時期尚早だと公言してはばかりません。

進駐軍が撤退したといっても各地に米軍基地が残った状態で、スポーツ教育も遅れ、人材も不足し、交通や宿泊施設の不備もある。開催国にも関わらずメダルを狙える選手もいない。

平沢は理路整然とその理由を話し、それを聞いた東も「時期尚早だよ」と田畑に言い始める始末。

しかしそれでもあきらめない田畑は突然落語調で敗戦からの14年間を語り始めるのでした。

昭和20年・東京

終戦後の焼け野原を歩く田畑の足は神宮外苑競技場へ。

戦争の被害を受けた神宮外苑競技場は米軍に接収された状態になっていました。そんな競技場の中で田畑は治五郎の写真を見つけます。そして治五郎との会話を思い出す田畑。

「今の日本はあなたが世界に見せたい日本ですか!?」

何としてもオリンピックをやると口にする治五郎に田畑が言った言葉でした。

治五郎のストップウォッチを見つめる田畑は何を思うのか・・・

東京でオリンピックをやる!

その後ローズへ向かった田畑は東、松澤と再会します。

そして2人の前で「俺はこの東京でオリンピックをやる!」と改めて宣言するのでした。

戦後まもなく、誰もそんなことを考えられない状況でオリンピック招致へ向けて田畑は動き出します。

 

田畑はまず、生き残ったオリンピック関係者15人をバラックに集め、そこを体協の本部にしました。

かつての五輪選手、小池・宮崎も戦地から帰ってきたため指導員に加わります。そして強化合宿を開始。

食料も十分にない状況でしたが、そこで育った有望株が古橋廣之進でした。

古橋は日本選手権で世界新を記録。しかしこの記録は日本水連が国際水連から除名されていたため、公式記録として認められませんでした・・・

ロンドンオリンピックと同日に開かれた裏オリンピック

敗戦後でアメリカの占領下にあったため、日本は1948年のロンドンオリンピックに参加できませんでした。

そこで田畑は「裏オリンピック」を開催。ロンドンオリンピックの水泳競技と同じ日・同じ時間に日本選手権を開催したのです。そこで古橋はオリンピックの記録を破るタイムを記録します。

精力的に活動する田畑はマッカーサーに直談判し、水泳の全米選手権にも選手たちを参加させるのでした。

全米選手権では6種目中5種目で日本が勝利。古橋も世界新記録をたたき出します。

 

古橋は1952年ヘルシンキオリンピックに参加するが・・・

1952年のヘルシンキオリンピックには日本も参加できるようになります。103人の選手団の監督として田畑もオリンピックへ参加しました。しかし・・・

すでに選手としてピークを過ぎていた古橋はメダルに手が届きませんでした。

日本へ戻ると「無念」という言葉を繰り返すアナウンサーの声がテレビから聞こえます。

その言葉に「古橋を責めないでくれよ!」と吠える田畑。

 

そんな田畑の横で、東はヘルシンキオリンピックの開催費が市や国からの補助金を受けず、入場料でまかなわれたことに驚いていました。その上ヘルシンキを訪れる観光客も増えたという。

その話を聞いてオリンピックは金儲けになる!貧しいからこそオリンピックをやるべきだ!と田畑は首相に直談判します。

 

しかし政治家はなかなか動いてくれません。

そんな状況を見て田畑が下した次の決断は「それなら俺が政治家になってやる!」でした。

オリンピックを東京でやるんだと意気込んで出馬するも・・・

オリンピックのために出馬したといってもいい田畑。

そのため演説でも「東京でオリンピックを!」という話しかできません。おまけに「アレをナニする」といつもの口調。

演説を聞いている浜松の人たちには何を言っているのかわからないし、浜松のことを考えろと言われてしまう始末でした。

その結果は見事に落選。

この話の中で田畑がこれまで実家の土地を売ったお金でこれまでの活動資金を工面していたことが判明します。

昭和31年(1956年)メルボルンオリンピックでのアピール

その後昭和31年に行われたメルボルンオリンピック。

ここで英語が堪能な秘書・岩ちんこと岩田幸彰を引き連れて地道なロビー活動を行った田畑。

これが功を奏し、次のIOC総会が東京で開かれることが決定します。

嘉納治五郎が遺した神宮外苑競技場を破壊

IOC総会の東京開催が決定した後、田畑は神宮外苑競技場を壊すことを決めます。

「まってよ!壊すの?嘉納先生が残してくれた遺産を!」と東も驚きますが、田畑は引きません。

「懐かしくても、古いもんは古い」

「新しい東京をアピールするんだよ!」

気が付けば、神宮外苑競技場は造られてすでに34年が経っていました。

昭和33年(1958年)、神宮競技場は8万人の収容が可能な国立競技場へ生まれ変わります。この工事は実に短期間で行われましたが、その完成度の高さにIOC関係者は驚きました。

IOC会長も東京にはオリンピックを開催する資格が十分にあると太鼓判を押します。

確かな手ごたえを田畑も感じるのでした。

東を東京都知事に

次に田畑が打った手は東を東京都知事にすることでした。

過去と同じ轍を踏まないためにも船頭は少ないほうがいい。東が東京都知事となり、IOC委員となり、体協会長を兼ねればそこで揉めることもない、と。

しかしこの話に東の家族は大反対。田畑に詰め寄り、息子に至っては「(父には)できっこない」と言い切ってしまいます。

しかし東も退きませんでした。

「わかってるよ!自分が一番そう思ってるよ!戦後14年、ことオリンピックに関してはできると思ってやったことなど何一つない!だから応援してくれと言ってるんだ!分かってくれよ!」

「やらずに後悔するぐらいなら、晩節を汚してでも俺はこの東京でオリンピックを開きたいんだよ~!!」

その言葉に最後は家族も折れ、東は東京都知事となります。

 

万策を尽くして総会を迎える田畑でしたが、最後の難関がスピーチ役の平沢でした。

それだよ、それ!

「我々の14年間はけして平坦な道のりではなかった」

そう言う田畑でしたが、その話を聞いてもオリンピック開催に否定的な姿勢を崩さない平沢。

平沢は「そもそも皆さんがどうしてそこまでオリンピックに魅せられるのか?その理由が知りたい」と田畑に問いかけます。

 

田畑の答えは「平和(La Paix)のため」でした。かつての治五郎と同じように。

 

田畑は5年前のフィリピン遠征で出来事を話します。

国内から進駐軍も去り、経済も復調の兆しを見せ、オリンピックにも出られるようになった。ようやく戦争の影響から日本は抜けだし始めた・・・そんな頃に訪れたフィリピンで田畑たちは「人殺し」と激しい非難を受けるのでした。彼らの中で戦争はまだ終わっていなかったのです。

戦争で日本がしてきたことの影響の大きさを改めて感じてしまう田畑。

歓迎されるなどと思っていた自分を恥じた田畑は選手たちに「帰ろう」と言います。しかし・・・

 

小池「泳ぐしか能のない俺たちが泳ぐのをやめて、なんかいいことあるか!」

宮崎「やりましょう監督」

かつて選手として、そして指導員となった二人の言葉で改めて奮起する田畑。

そうだ、選手達が泳ぐことを辞めても何も変わらない。でも泳げば何かが変わるかもしれない・・・

 

そして田畑は平沢に言います。

「アジア各地でひどいこと、むごいことをしてきた俺たち日本人は・・・面白いことやらなきゃいけないんだよ!」

「時期尚早?冗談じゃない!遅すぎるぐらいだよ!」

そうして治五郎のストップウォッチを平沢に改めて見せるのでした。

 

平沢の脳裏にはかつての治五郎との会話が蘇ります。日本へ帰る船上で治五郎が口にした言葉。

「これから一番面白いことをやるんだ・・・東京で!」

「みんなが驚く、みんなが面白い・・・そんなオリンピックを見事にやってのける!」

 

その言葉を聞いて「心から東京オリンピックの成功を祈らざるを得ない」と寄稿したこともあった平沢は口を開きます。

 

「なんだ・・・面白いことか」

「それだよ、それ!」

「面白いことなら、やらせていただきます」

 

そうしてついに、IOC総会でのスピーチを承諾するのでした。

五輪の旗

スピーチを承諾した平沢でしが、解説委員としてオリンピック開催を否定し続けてきた意見を曲げるわけにはいきません。つまり北原氏の原稿をただ読み上げるわけにはいきません。

自分の言葉でしゃべらせてほしいと田畑たちに伝えます。

そんな平沢がIOC総会で語ったのは、娘の教科書に載っていた「五輪の旗」という話でした。

 

「オリンピック、オリンピック。こう聞いただけでも私たちの心は踊ります・・・」

 

その時が来ました。

五輪の紋章に表された「第五の大陸」

オリンピックを導くべきではないでしょうか。アジアに・・・

 

昭和34(1959年)年5月26日IOC総会。ここでついに1964年のオリンピックが東京で開催されることが決定するのでした。

 

40話感想。「気持ちいいじゃんね!」と「そこだよ、そこ」ですよ

ついにオリンピックキター!!って感じですね。

しかしまさか14年間を一気に駆け抜けるとは思いませんでした。ここはもう一話くらい合っても良かったんじゃない?とも思いましたが、1話にまとめた方がテンポも良かったんだろうなって感じです。それにきっと東京開催決まってからの方が大変だったということなんでしょうね。次回以降はそこが描かれていくのでしょう。

オリンピックが決まってからの方が大変というのはまさに今、2020年東京オリンピックを控えた日本を見るようです(汗

ロゴで揉めたり競技場で揉めたり、協議の開催場所で揉めたり・・・問題は尽きません。

 

とりあえず、北島康介の出番は思った以上に少なかったですね・・・

ただ古橋(北島康介)の「気持ちいいじゃんね!」ってセリフは最高でした(笑

次回以降も出番があるのか?ここもちょっと気になります。

 

そして今回の主役はやはり平沢和重(星野源)でしたね!

オリンピック招致に否定的だった平沢ですが、田畑の「面白いことしなきゃいけないんだよ!」という言葉が治五郎と言葉と重なり、治五郎の想いが受け継がれていた事を感じたんでしょうね。治五郎の最期を看取り、治五郎のストップウォッチを田畑に届けた平沢がスピーチを引き受けることを決意する・・・

嬉しいような悲しいような表情を見せた後、「そこだよ、そこ!」って言葉をあげるところは実に印象的でした。星野源かっこいい。格好良かったよー(笑

今後は平沢の出番も多いでしょうし、田畑とどんなやりとりをしてくれるのか楽しみです。

 

まとめ

というわけで「いだてん」40話についてまとめました!

次回以降はオリンピック開催までの話が描かれる訳ですが、40話放送直前にチュートリアル徳井氏の税金無申告問題が報道されましたね(汗

女子バレー日本代表監督・大松博文役で41話から出演するはずだったので対応が気になるところ。出番も多いでしょうし、単純にカットするだけでは対応しきれない気がしますがどうするんでしょうね・・・

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