福釜松平家の居城・福釜城

福釜城

こんにちは!城好き・歴史好きのZIGです(笑

今回は安城市福釜町(ふかまちょう)にあったと言われる福釜城へ行ってきました。実は安城市福釜町は私の地元。

地元にも昔、城があったんだなぁ・・・ということを最近になって知ったため、実家に顔を出したついでに探してみたのです。城の遺構は残されていませんでしたが、いくつかその名残を見つけることが出来ました。

福釜城は福釜松平家の城

松平家は徳川家康が生まれたあの松平家ですね。福釜松平家はその庶流に当たります。

福釜松平家は松平家5代目の松平長親(徳川家康の高祖父)の次男、松平親盛が福釜周辺に領地を貰ったところが始まり。その親盛が作ったのが福釜城で、正確な年代は分かりませんが、永世年間(1504年?1521年)の頃だと言われています。

福釜松平家は松平宗家を助け、3代目の松平親俊は徳川家康に仕えました。

4代目の松平康親も同じく家康に仕え、家康が関東へ転封された際、下総・武蔵に領地を与えられた記録があります。関ヶ原の合戦後には再び福釜に戻っており、その後8代続いて嗣子がなく絶家(庶流は存続)。

禄高は一千石ほどで旗本だったとのこと。

 

以下に福釜松平家と松平宗家の歴代当主をまとめておきます。

松平宗家歴代当主

  • 初代:親氏
  • 2代:泰親
  • 3代:信光
  • 4代:親忠
  • 5代:長親(福釜松平家初代、親盛の父)
  • 6代:信忠
  • 7代:清康
  • 8代:広忠
  • 9代:家康(徳川家康)

 

福釜松平家歴代当主

  • 初代:親盛
  • 2代:親次
  • 3代:親俊
  • 4代:康親
  • 5代:康盛
  • 6代:康俊
  • 7代:康兆
  • 8代:康永

 

 

・・・そんな福釜松平家の居城だった福釜城は現在の住所で言う福釜町蔵前のあたり?にあったと言われてます。がしかし、現在は遺構は一切残っていません。

 

なのでその周辺に残る石碑や福釜松平家の墓を巡ってきました。

 

 

 

福釜城主松平家榮地の石碑

西天交差点

 

福釜城主松平家榮地の石碑は福釜町西天の交差点の西側に建っています。

石碑の横にはお地蔵さん。

 

福釜城

 

何故か交通安全の石碑も並んで建ってました(笑

 

福釜松平家の菩提寺・宝泉院

宝泉院

 

西天の交差点北側には福釜松平家の菩提寺、宝泉院があります。

宝泉院には初代親盛から3代親俊までの3人の肖像画が今も残っているとのこと。

 

ここからもう少し北へ移動した場所には、5代康盛が隠居後住んでいた屋敷(福釜古屋敷)があったそうです。こちらもほぼほぼ遺構は残ってないとのこと。

 

福釜松平家3代の墓所

福釜松平家の墓

西天交差点を西へ歩き、二つ目の十字路を左へ入ると福釜松平家3代の墓所があります。

目印は大きな松の木。

 

西天交差点から歩いていくと左手に何本か見えてくるので、すぐにわかるかと思います。

 

墓は向かって右側から初代親盛・2代親次・3代親俊の順。

とてもきれいに手入れされているのが印象的でした。

 

まとめ

というわけで福釜城周辺を巡ってみました。

 

地元にこんな場所があったんだな・・・としみじみ。

 

戦国時代、このあたりは徳川家と織田家が戦ってた場所ですし、調べてみれば結構城があるのかもしれません。遺構は残ってないかもしれないけど(汗

有名どころの城ばっかりじゃなく、こうした城を探してみるのも歴史を感じられて面白いかな?とちょっと感じました。