バンテアイ・サムレと名前が混同しやすいバンテアイ・スレイ。というか私は完全に同じ遺跡と勘違いしてました(汗
バンテアイ・スレイは「女の砦」という意味。バンテアイ・サムレは「サムレ族の砦」という意味らしいです。要するに「バンテアイ」の部分が「砦」の意味らしく、それで名前が似てるのね。
というわけで午前中最後の観光地、バンテアイ・スレイへ。
ここはバンテアイ・サムレからバスで30分ほど移動したところにあります。
移動中はまたヒャックさんがカンボジア事情を色々話してくれました。
ここで聞いたのはカンボジアの「教育」に関する話。カンボジアにも義務教育があるそうです・・・が、行かない子も多いとのこと。行かないのか、行けないのかはちょっと聞き忘れてしまった。で、国立大学もあるけどこれは首都プノンペンにひとつだけ。つまり国立大学に行きたければプノンペンまで行かなくてはいけないってことです。
この話を聞いていてふと気が付いたんですが、カンボジアの首都ってプノンペンなんですよね。
カンボジア=アンコールワット=シェムリアップというイメージが強すぎて、なぜか私の頭の中ではカンボジアの首都はシェムリアップになってました。はずかし(汗
ちなみに小学校とかは午前中で終わるそうです。なので子供たちは学校が終わった後、ハガキ売りなんかをしてお金を稼ぐんだとか。日中からハガキ売りの子供がいるのはそういう理由だったんですねー。
バンテアイ・スレイ、到着。
入口にはアンコールワット遺跡群の全体の地図がありました。
右のパネルの下の方にトンレサップ湖が描かれてますね。
今回のツアーではトンレサップ湖は行程に含まれてないので見ることはできませんでした。
ここも次回来るときには見に行きたいな。
というわけでバンテアイ・スレイの中へ。
バンテアイ・スレイは年代的にはプレループや東メボンと同時期の遺跡。
ラージェンドラヴァルマン王の時代に着工してジャヤーヴァルマン5世の時代に完成したものだそうです。規模としてはさほど大きくないんですが、ここの特徴は精巧な彫刻の数々。東洋のモナリザと評されるデバター像もここにあります。
建物に施されてる彫刻は確かにかなり細かいです。ここまで細かく彫り込まれたものは他の遺跡では見た記憶がありません。
と言うかよくこれだけキレイに残ってたもんだな・・・と驚きました。
どの彫刻もかなりしっかりと残ってます。
遠くにデバター像も見えます。
実はこれ以上近寄れないんです。と、遠い(汗
ズームで寄ってみました。
右側のデバター像は顔が欠けてしまってますが、左側の像はキレイに残ってますね。
ちなみに「東洋のモナリザ」と言われるデバター像がこちら。
や、やっぱり遠い(汗
出来るだけ拡大。
持っていたスマホのカメラではこれが限界でした(;´∀`)
「東洋のモナリザ」は周辺が立ち入り禁止になっているので、あまり近寄ってみることができません。
これは理由があって、元々このデバター像が有名になったのは「盗難に遭った」からなんです。1923年にここを訪れたフランス人、アンドレ・マルローがこのデバター像をとても気に入り、なんとこっそりお持ち帰り。しかし、見事にプノンペン空港でバレて逮捕。この事件が元でこのデバター像は一躍有名になり、東洋のモナリザと呼ばれるようになったそうです。
そのため現在でもこのデバター像には近寄れないようになってます。
しかし・・・これだけ大きな像をどうやってバレずに空港までもっていったんだろう?そっちの方が気になりました(汗
ともあれここの彫刻は必見。
よーくみたい方は双眼鏡なんかを持っておくとしっかり見れるって話でした。
遺跡を出たところで一枚。
森の中にひっそりとたたずむバンテアイ・スレイ。
これで午前中の遺跡めぐり、終了ー
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