明智藪 | 小栗栖に残る明智光秀終焉の地(京都府京都市伏見区)

明智藪

こんにちは!ZIGです。

今回は京都府京都市にある「明智藪」に行ってきたので紹介します。

明智藪は明智光秀が討たれた場所として知られていますね!現在もこの場所には石碑が残っているのです。

明智藪について

本能寺の変で織田信長を討った明智光秀ですが、その天下は長く続きませんでした。

中国地方で毛利氏と戦っていたはずの羽柴秀吉(豊臣秀吉)が驚くべきスピードで戻ってきてしまったからですね。おまけに細川藤孝や筒井順慶といった与力たちの協力も得られず、限られた戦力で山崎の戦いに望んだ明智勢は羽柴勢に敗れます。

敗れたその日の深夜、光秀は坂本城へと落ち延びていくのですが・・・

その途中、小栗栖のあたりで落ち武者狩りに遭った、あるいは武士集団に襲撃されたともいわれてますね。実は討たれた場所については山科・醍醐あたりと言われていて正確な場所は分かりません。実際光秀が襲撃を受けたのは夜中だったでしょうし、襲撃した相手も光秀だと分かって襲撃したとも限らないので、正確な場所の断定は難しいでしょう。

何にしても光秀はこの辺りで命を落とすこととなり、その場所が「明智藪」と呼ばれ、今でも残っているというわけです。

 

明智塚へのアクセス

明智藪
〒601-1455 京都府京都市伏見区小栗栖小阪町

明智藪は新小栗栖街道から西ヘ入った住宅街の中に残されています。

最寄りの駅としては京都市営地下鉄東西線「石田駅」があり、駅から約1kmほど。15分ほど歩くと到着します。

ちなみに車の場合は駐車場があるわけではないので、近隣に車を止め、歩いて行く形になりますね。駐車場については後で解説するので参考にして下さい。

 

今もひっそりと残る明智藪

というわけで明智藪に実際に行ってきました。

この時は車でアクセスしたため新小栗栖街道沿いのコインパーキングに車を駐め、住宅地を歩いて行きました。

 

新小栗栖街道の西側は少し上り坂になっており、少し上がっていくと小栗栖八幡宮があります。

明智藪

このあたりから明智藪と本経寺の案内看板が出てくるので、後は案内に従って行けばOKです。

明智藪は本経寺の寺領となっており、また本経寺には明智光秀の供養塔があります。なので明智藪に訪れた際は一緒に訪れてみると良いでしょう。
本経寺

本経寺 | 明智光秀の供養塔がある日蓮本宗の寺院(京都府京都市伏見区)

 

小栗栖八幡宮を過ぎたあたりから一気に道が細くなります。

明智藪

普通車なら入りたくはないな・・・というレベルの道幅しかありません。

 

 

少し歩くと左が本経寺、右が明智藪という看板があります。

明智藪

ここを右ですね。

 

 

地元の人以外通ることのないような道を進んでいきます。

明智藪

ホントにここで合ってるのか?とちょっと不安になりますが・・・

 

 

少し歩くと左手に明智藪の石碑が見えてきました。

明智藪

本当にひっそりと佇む・・・という感じで石碑があります。

しかし手入れはしっかりされているようで、花も供えられてました。

 

 

右側の石碑には明智藪についての解説が書かれています。

明智藪

ざっくり解説すると以下のような内容が書かれてました。

  • 山崎の戦いに敗れ、光秀は近臣十数名と坂本城を目指しこの付近を通った
  • そのとき小栗栖館の武士集団、飯田一党の襲撃を受けた
  • ここは本経寺の寺領となっている

飯田一党というのは先ほどの小栗栖八幡宮があった辺りを拠点とした武士集団で、当時は信長に従っていたらしいですね。

この話の通りだとすると光秀は落ち武者狩りに遭ったのではなく、坂本城へ戻る過程でこの辺りを通ると見越していた飯田一党に待ち伏せされた・・・ということなのかも知れません。

小栗栖八幡宮

小栗栖城(小栗栖八幡宮) | 光秀を討ったと伝わる飯田一党の館跡

 

 

ちなみに、光秀が襲撃を受けたとされる場所は石碑がある場所ではありません。

案内板も出てますが、30m程先になります。

明智藪

案内に沿って歩いて行きましょう。

 

 

ここは細くて薄暗い道になってます。

明智藪

ここを通り抜けると・・・

 

 

 

ありました。

明智藪

ここが光秀が襲撃を受けたとされる場所ですね。

 

 

ただ・・・来てみてビックリ。

めっちゃ周辺が工事されてました・・・(汗

 

どうやら割と大きな道が通るみたいです。

明智藪

なのでこの周辺の景色も大きく変わるんじゃないでしょうか。

それによって明智藪の景観も大分変わるかも知れません。

ちなみに私が訪れたのは2019年8月でした。

 

 

明智藪を訪れる際の駐車場について

明智藪を訪れた際、私が使用したコインパーキングを記載しておきます。

場所としては以下の辺りですね。

 

新小栗栖街道沿いの小さなコインパーキングでしたが、明智藪まで歩いて数分程度の場所にありました。

新小栗栖街道

上記の写真の右手に見えているのがそうですね。

 

料金も1時間駐めて200円なので、それほど大した金額ではありません。

新小栗栖街道

 

一応補足しておくと、明智藪の近くにある本経寺にも駐車場があります。

ただこれは墓地へ訪れた方用の駐車場ですし、何より本経寺周辺の道路はかなり狭く、運転に自信が無い方は正直行かない方が無難です。私はできれば車で行きたくはないな、と思いました(汗

軽自動車ならいざ知らず、普通車で行くのはちょっと・・・という感じです。

なので明智藪だけじゃなく本経寺や小栗栖八幡宮を訪れてみたいという方はやはりこちらのコインパーキングに車を駐め、歩いて回った方が安全策ですしスムーズです。

実際に明智藪・本経寺・小栗栖八幡宮すべて回ってみましたが1時間もかかりませんでした。

 

 

【おまけ】地図で見る光秀の逃走経路

明智藪を訪れた後、なんとなく光秀はどういう経路で坂本城へ戻ろうと思ったのかな・・・と気になったので、Googleマップを使って経路を確認してみました。

こういうときGoogleマップは便利ですね(笑

 

光秀は山崎の戦いに敗れた後一旦勝竜寺城に入り、深夜に坂本城へ向かったとされてます。

なので勝竜寺城から小栗栖までのルートを調べてみるとこんな感じでした。

もちろんこれは現在の道路を使ったルートになるので当時とは異なるはずですが、勝竜寺城から小栗栖は12~13キロくらいの距離みたいですね。勝竜寺城を抜け出した光秀はそれほど離れていない場所で討たれてしまったみたいです。

そしてこの経路を見ると光秀は京都の南を通って山科を抜け、大津を経由して坂本を目指していたことがよく分かりますね。

そう考えると確かに小栗栖の辺りを通った事は間違いなさそうです。

 

というか、光秀が坂本城に逃れるなら山科区辺りを通って行くはず・・・と考えられそうですし、そこで網を張られていた可能性も充分あるんじゃないか?って感じですね。

 

 

まとめ

というわけで明智藪を紹介しました。

明智藪を訪れた際は光秀の供養塔がある本経寺、光秀を討ったかもしれない飯田一党が拠点としてた小栗栖八幡宮(小栗栖城・小栗栖館)も併せて訪れて見ると良いと思います。

車で訪れる場合は道が狭いので注意!ですね。